「優しい人が嫌いな人はいない」という考え方を持っている人は多いし、その考え方に則って「人に嫌われないためor気に入られるために、優しい人になろう」とする人は多いと思う。
もちろん、人間関係を円滑に築くためには優しい人でいることは重要だし、王道だ。しかし、その優しさが過剰なものになってしまえば「あの人の優しすぎてなんだか付き合いづらい」「優しさがあざとくて苦手」と思われてしまい、結果として人間関係で苦労してしまうのも無理はないだろう。
今回は、そんな優しすぎる人に感じるうざさや怖さについて解説しようと思う。
優しすぎる人に感じるうざさ、怖さ
優しさを受け取る人を尊重していない、善意の押し付けをしてくる
優しすぎる人にあるのが
- 「私の優しさを当然受け取ってくれるよね?」
- 「あなたはこういう優しさを求めているんでしょ?じゃあ、今からその優しさを与えてあげるよ!」
という具合に、優しさを受け取る人のことを尊重していない態度だ。言い方を悪くすれば、自分の中の善意を他人に押し付けている人であるのだ。
ただ悪意で接してくる人と違い、一応は善意であるため受け取る側からすれば拒絶しづらい。また「優しい人に疑いの目を向けるような人にはなりたくない」と、受け取る側に余計な精神的負担を与えてしまうのも特徴的だ。
その結果目立った衝突こそ起きないが、関係を続けていくうちに優しさを受け取る側はストレスを溜め込んでしまう。そして、ストレスが限界になると関係が自然消滅してしまう。
しかし、優しさを振りまいていた当人は自分の優しさに問題点があると自覚できず、「優しくしていたのに裏切られた」と被害者or悲劇のヒロインぶったり、別の人間関係で同じように一方的で独善的な優しさを振りまいては失敗する…という一連の流れを繰り返してしまうのだ。
過度におだてて露骨に媚を売っている
優しすぎる人には、とにかく相手の喜ぶこと、相手から感謝されるようなことをしようとした結果、露骨にほめたたえたり、些細なことでも大げさに褒めて肯定する…という、不自然な褒め方をしてしまうことがある。
もちろん、そのどれもが媚を売るという下心とは限らないが、傍から見れば「あの人は好かれようとして露骨に褒めているんだな」と思われやすい。
また、露骨に褒められることは、言い換えれば褒める人のことを正しく評価できていない、あるいは格下に見ているとも考えられる。
格下に見ているからこそ、ちょっとのことで「わーすごいですねー!」と、まるで子供を褒めるかのような態度で接している。つまり、一見すると優しいくせに失礼な態度をとっているとみなされてしまうからこそ、過度に優しい人はウザがられるのだ。
見下すなら最初から見下せばいいのに、味方の振りをして回りくどく失礼な態度をするその様が、非常に浅ましいと思われやすい。
「これだけ優しくしたのだから、感謝して欲しい」という恩着せがましさがある
優しさを振りまく人の中には、他人から感謝されたいという個人的な承認欲求を満たすために、あえて優しくしている人がいる。
その優しさはどこか音着せがましく、まるで他人に恩を売りつけているかのような一方的な優しさである。
過剰に優しさを振りまくために、受け取る側は「ここまで優しくしてもらったのだから、感謝しなきゃいけないよね」という義務感に駆られると同時に、感謝の言葉を述べる。
一見すると何も問題が無いと思えるかもしれないが、見方を変えればこれは相手から感謝の言葉を引き出すために、相手に対して精神的な負荷をかけている。
つまり自分が気持ちよくなりたいために、他人に余計なストレスを与えているありがた迷惑な人であるため、嫌われてしまうのだ。
思惑がわからない、意図が見えない優しさを振りまくので不気味
妙に優しすぎて怖いと感じてしまう人に目立つのが、その優しさの意図や思惑が見えてこない、不気味な優しさを振りまくことだ。
例を挙げるとすれば、出処のわからない金を差し出された時に感じる違和感と同じだ。
つまり、自分が優しさを受け取るだけの正当且つ妥当な理由がないのにもかかわらず、唐突に優しさを振りまいてくるので
- 「この人の優しさには何か裏があるのではないか?」
- 「この優しさは受け取ったせいで、後々で因縁でもつけてきやしないか?」
という疑念を抱いてしまうのだ。
他人から優しくされるのに嬉しさを感じるのは自然なことだ。しかし、その優しさがあまりにも不自然なものであったり、本心が見えづらいものであった場合に、違和感を覚えることもまた自然なことだと思う。
「所詮自分の利益のために他人に優しくしているだけだ」と感じる薄っぺらい優しさでしかない
- 「周囲から見て優しい人」とみられたいために過剰に優しさを振りまく。
- フォロワーやファンを増やして自分のビジネスを拡大させたいために優しさを振りまく。
- 自分の精神的な充足のために、誰彼構わず優しさに飢えている人に優しさという餌を振りまく。
- 自分は信用のある人間、多くの人から支持されている人間であると誇示したいために、優しさをばらまい支持者を集める。
というように、「結局のところは自分の利益しか考えていないんでしょ」と感じてしまうような優しさを振りまく人もまた、過剰に優しくなる傾向がある。
この場合、なるべく多くの人を巻き込みたいために、薄っぺらくてどうとでも解釈ができる優しさを振りまくのが特徴的だ。
薄っぺらさ故にロクに優しさを吟味しない人の心に響きやすい。しかし、よく吟味できる人からは「誰に対してもこの優しい言葉や態度は通用してしまうよね」と、薄っぺらさを見抜かれてしまう優しさなのだ。