口コミサイトやSNSの評判に頼りきらない 自分の感覚を鍛えることが大切

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何かを食べに行くときに口コミサイトのレビューやSNSなどのネットの情報を調べることは多い。

しかし、実際のその情報を元にお目当ての料理を食べに行った結果、がっかりした経験をした人は多いであろう。

当然、口コミサイトやSNSにある情報は一個人の純粋な情報ではなく、宣伝やステマのような最初から広告目的として出されている情報という可能性もある。

褒められる点は盛りに盛って褒めるが、都合の悪い部分はカットしているという露骨なレビューばかりだと疑ったほうがいい。

 

 

投稿者の味覚は自分と完全に一致するわけではないのね

自分の好きな味や料理があるように、レビューを書いた投稿者にも好きな味や料理がある。しかし、両者が完全に一致する事はまず無い。親しい友人や知人であっても、味覚が自分と似ていることはあれど、完全に同じであるという事は無い。

それゆえに、投稿者が不味い、口に合わないというレビューを書いていても、それはたまたま投稿者の口に合わなかっただけで、自分の味覚にはぴったりということもありうる。

また、味覚自体は生活習慣やその日の体調によって変化するものである。頭脳労働をすれば甘いものが恋しくなったり、体を動かせば味の濃いこってりとしたものや、さっぱりとしたものが恋しくなるのはそのためである。

酷評の理由は、単純に飯がまずかったという理由ではなく、投稿者の体調があまり良くなかったせいで、味に関して適切な評価をできない可能性があることも頭の片隅にいれておくといいだろう。

 

…話は変わるが、意識高い系としてスタバに通っていたときは、正直スタバのコーヒーが好きになれなかった。

まぁ、スタバのコーヒーは高い割にそこまで美味しいかどうかわかりにくいし、あの雰囲気とスタバにいるという事実に対してお金を払っているのだと、私は考える。

 

 

知らなければよかったという情報もあるのね

料理に関するレビューは良いものばかりだといっても油断はできない。

広告ややらせの可能性もあるが、いい評判ばかりできたいしすぎたものの、実際に自分が食べた感想はそこまで美味しいとは言えない…むしろ普通でがっかりしてしまったということがある。

過度に期待を膨らませてしまったがゆえの失望である。

 

事前にこの情報を知らずに食べておけば、幸福…とは言わなくとも、そこまで失望することなくそれなりに美味しく食べることができたのではないか。

そう考えると、ポジティブな情報だからといってそれに依存するのは考えものであろう。

 

…まぁ、酷評の数と種類が多ければ多いほど、いわゆる「地雷」の店を見抜くのに役立つので、口コミサイトやSNSの情報が無駄というわけではない。あくまでも情報を見抜き、そこから考える力が重要なのである。

 

 

自分で考える力を養うべきなのね

今や口コミサイトやSNSでお目当ての情報を簡単に調べることができるようになったぶん、自分の感覚を磨いたり、自分で考える機会が減っているのではないかと思う。

何かが美味しい、いま話題になっている、流行っているという情報を信じてそれに従えば従うほど、自分で考える場面は減る。

私を含め若者がTVを見なくなったとはいえ、ネットやSNSの情報にどっぷり浸かっていれば考える場面が減るのは言うまでもない。SNSなら身内補正が入るので、余計に厄介だ。

そして、ネットの情報はTVと違って際限がないのが厄介である。再現がないがゆえに知らなくてもいい情報を知ってしまうし、情報が多すぎて取捨選択ができないことが起きやすい。

 

 

何も考えなくとも調べたい語句があればスマホで検索すれば、お目当ての答えが出てくる時代だからこそ、考える力を身につけるべきではないか。

たかが食事であろうとも、自分の感覚を鍛えたり、自分の考える力や見抜く力を磨く場面として経験すれば、仕事や人間関係にも応用できる時が来るだろう。