「意識高い系」という生き方は随分窮屈だと思う件

自己啓発・意識高い系
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スタバでマックのノートPCをドヤ顔で開いているような人たち。ぱっと見は凄そうに見えるけど、その実思想や考えが薄っぺらく虚飾で自分を飾ることばかりに費やしている、なんだか残念で痛い人たちの事を俗に「意識高い系」と言うが、その生き方は非常に窮屈だと、もと意識高いの私はそう感じる。

意識高い系大学生は一言で言えば「かまってちゃん」

同級生も含めて現に私が今まで接してきた意識高い系の大学生は、一言で言えば「かまってちゃん」という印象だった。自己啓発書を読みふけり、ボランティア活動に勤しみ、バイトやサークルで精力的に取り組み、SNSには自信満々の変顔、ドヤ顔をなんの臆面も無くアップロードし悦に浸っている。その行動を傍から見ていると、何とかして人の気を引こうとしている、自分を見て欲しいという欲望のために行動しているように感じる。

 

また、「かまってちゃん」は人から構われたいために行動するものなので、心の奥底は他人に受け入れられたい、他人からすごいと思われたい、他人から認められたいという人間の醜さが人一倍強いのだと思う。承認欲求を満たしたくて仕方がないのだ。

 

「他人から見て自分はどう思われてるか」に縛られている

もちろん、人からよく思われたい、注目されたいという感情は否定しないが、その感情に押し流されて自分の意見を殺したり、過度に謙遜したり、逆に暴走して街中でドローンを飛ばし墜落させたり、架空の小学4年生をでっち上げて、政治にちょっかいを出したりする事態になってしまっては他人に迷惑をかけてしまいかねない。

「自分から見て」自分がどうあるべきかよりも、「他人から見て」自分がどうあるべきかに拘るから、行動の基準は自分には無いし、自分で選んで行動しているように見えても、無意識のうちに他人からどう思われるかに囚われる。そんな生き方は実に窮屈だと思う。

 

スキルが欲しければSNSやネットを断て

今はスマホやパソコンですぐに他人とつながることができる。SNSを使えば自分の意見や考えにコメントや「いいね」が付くからこそ、他人から認められたい意識高い系な人たちにはのめり込んでしまう。でも、そうやって他人からよく思われたいがために、SNSに時間を費やして、身につけたい技術やスキルのための時間まで削ってしまったらアホである。

そうならないためにも、いっそのことSNSやネットを断ち、目の前にあるやるべきことを地道に着手し、一つずつ片付けていく時間を設けるのが重要。

 

そして実際にスキルや技術の習得をした結果をSNSに報告出来るように鍛錬するべきだと、元意識高い系としては思う。