教えたがる人がどうしてうざいのかについての考察

学校・教育関連
この記事は約4分で読めます。

えてして教えたがりな人は、よほど教え方が上手い人を除けば、基本的にウザがられる特徴を持っている人間だと思う。

今回は、そんな教えたがりな人に感じるウザさについて、個人的な見解を述べてみようと思う。

 

教えたがる人がどうしてうざいのか

常に自分のペースで話すだけで教える側を置き去りにしてしまう

教えたがりな人は、基本的に自分本位である。自分のペースで話してばかりで教えを受ける側の反応や気持ち対して非常に疎い部分が目立つ、というか置き去りにしているフシすら感じるような教え方をしてしまう。

言い方を悪くすれば、教えるという行為を通して、ただ自分の心が気持ちよくなることばかりを求めている。そんな未熟な教え方を受けるとなれば、他人の自己満足のために自分の時間や労力を使う虚しさ、場合によっては怒りに近い不快感を味合うのも無理はない。

ちなみにだが、自分のペースで話すことに加えて、時折同意や同調を求めるような発言・態度を取ることもある。ただでさえ不快なのに、その不快の源たる教えたがりな人のいいなりになるような行動を取るとなれば、更なる不快感を覚えてしまうのも無理はないだろう。

 

教える側が興味があることばかりを教えるので退屈

自分のペースで話す事にも通ずるが、教えたがりな人は自分の興味・関心があることをひたすら話したがる傾向がある。要するにおしゃべりとして教えたがっていると言えるのだが、それは裏を返せば教えるという行為以外で他人と交友関係を築けないほどに、社交性に難があるとも言える。

もちろん、ブログのように自分の好き勝手に発言できる場面ならいいのだが、リアルの人間関係のように好き勝手に話してしまうと相手を疲れさせてしまうような場面においても、ただ自分の興味・関心があることを話してしまう。

そういう空気の読めなさ、他人への関心の乏しさが、うざさにつながってしまうのだ。

 

教えるにしては経歴や実績がしょぼすぎて説得力やありがたみに欠ける

失礼を承知で言うが、教えたがりな人は教えるという行為をするにしてはあまりにも経歴や実績がしょぼい。というか、経歴も実績も無いに等しい素人と同じような立場なのに、教える側に立とうとする姿に対して、怒りや呆れといった感情を抱いてしまうのだ。

どうせ教えを請うのなら、実績がある人の方が説得力やありがたみがあるし、安心もできる。そういう感情面での恩恵がないからこそ、専門家でもないほぼ素人同然のような教えたがりな人は、うざがられてしまうのだ。

もちろん、経歴によって人を判断する行為は無批判で推奨できるものではない。経歴は簡単に詐称できるし、教えられた内容を鵜呑みせず疑ってかかる慎重さを持つこともまた重要だと私は考えている。(とくにネット上であれば)

 

関連記事

無能な人ほど教えたがりになる理由について語る
私が一応でもクリエイティブ職(芸術系に近い)であるためか、なにかと初心者に向けて教えたがる人と出くわすことがこれまで多々あった。 失礼を承知で言うがえてして教えたがりな人は、その道で実績なり実力なりがあると言われれば…そうではない。ど...

 

妙に教える側を小馬鹿にした失礼な態度が目立つので不愉快

教えたがりな人は、あたかも相手が今から教える範囲について相手が無知であるかのように捉えて教えたがる傾向がある。要するに「あなたは無知でしょ?だから自分が教えてあげる」という無自覚に失礼な態度をしているからこそ、妙に腹が立ってしまうのだ。

また、教えるという一種の善行を通して、自分の方が優位であるとを確認して満足したい…そのために教えているフシすらもある。いい人のふりをして実はクズ…というギャップをうっすらと感じてしまうからこそ、ただクズな人よりも抱く不快感が強いのである。

なお、こうした無自覚な失礼さは、無自覚であるがゆえに直りにくいものである。むしろ「自分は教えるという素晴らしい行為をしているのに、失礼というのはどういうことだ」と逆ギレしそうな勢いを持っていることが教えたがりな人には目立つ。

 

教えたがる人は教えるのは上手でも育てるのは下手

教えたがりな人は、もちろん教えるのは得意だし場数は踏んでいるからこそ、教え方についての心得がある人もいるとは思う。

しかし私が思うに、教えるのがうまい教えたがりな人は、どうも育てる事は下手という印象が強い。

教えるという行為は、正直言ってコミュニケーション能力に難がある人でも可能だ。なぜなら、相手の反応を無視してただひたすら一方的に話さえすれば、一応でも「教える」という行為は成立してしまう。だからこそ、コミュ障で人付き合いが苦手な人でも、教える事は割と簡単にできてしまうのだ。(もちろん、それにより迷惑を被る人もいるのだが)

 

しかし、「育てる」の場合はそうはいかない。教えるの時と同じように一方的に話してばかりのような関係ではない。教える側のペースではなく、教えられる側のペースや能力をよく知った上で適切な指導をしたり、場合によっては見守るという辛抱を要するものである。

なにかと教えたがりな人は、どうも相手のペースに合わせる能力…つまり、協調性に欠けている点が目立つ。そのため、育てる事になると協調性の無さや辛抱できなさが影響して、教えること以上にうまくいかなくなるのだ。