フォロワー数自慢、チャンネル登録者数自慢をする人について思うこと

インターネット
この記事は約5分で読めます。

日本が失われた数十年前には金持ちであることを自慢する文化(要するにバブル)が今はそんなの昔の話。と言っても、自慢したい、見栄を張りたい、偉い人だと思われたい…と思う人間の気持ちはいつの時代も変わらないものである。

そんな現代において、金持ち自慢にとって代わるものが、twitterをはじめとしたSNSのフォロワー数の自慢、あるいはyoutuberのチャンネル登録者数自慢である…というのが、私一個人の持論である。

今回はこのことについて、前職で広報としてSNSを運用していたり、ネット上の広告業務を担当していた私個人の意見を色々と語っていこうと思う。

 

SNS、youtubeが生活の中に当たり前に存在している世の中だからこそ自慢が自慢として成立する

自慢をする以上、自慢する事柄について興味や知識の無い人が多いと自慢しても相手が「?」という反応をしてしまい、認められたいという欲求は満たされないものである。

(SFっぽくなるが)仮に江戸時代にタイムスリップして「私は東京大学卒だ!」と主張しても、当時の江戸時代の人々は現代の大学がなんたるかを知らないためにキョトンとした反応をするのは想像に難くない。こうなれば、自慢しても全然心は満たされなくなる。

話を戻して、確実に自慢を成功させるためには自慢する事柄についてある程度が相手に知識があるとか、経験しているものであることが重要になる。

そういう点で見れば現代は紛れもなくインターネット(=スマホ&SNSやyoutube)は普及しているといえるのだ、SNSやyoutubeに関する数字の自慢の効果は「ある」といえよう。SNSやyoutubeがなんたるかを知っている人が当たり前の世の中だからこそ、それらに関する数字の自慢は成功するのは明白だ。

また、テレビや新聞などの既存メディアでもSNSやyoutubeの数字を取り上げることは多い。なんとなくでも「数字が多い=すごい」というイメージを持つ人はインターネットに疎い人でも感じることだろう。(もちろん、「フォロワーが多い=偉い」わけではないが「特別な人」と錯覚させることはできてしまう。)

 

 

SNS、youtubeに関するの数字自慢は、金持ち自慢と比較して(それなりに)安全である

自慢する事柄としてもっともメジャーなのは金である。しかし、金持ち自慢は社会的な格差が広まってきた昨今においては、おいそれと自慢出来なくなっている。

ただ「あの人は金持ち自慢してきてうざいなぁ」と思われるだけならまだいい。下手に自慢した結果、反感を持たれて泥棒に入られたり、勤務先や家族が事件に巻き込まれる…などのリスクを考えれば、金持ち自慢することは難しい。

2019年12月頃に1億円が入っていると主張するジェラルミンケースを見せびらかしていた人が不幸な事件に見舞われた…というニュースが一時話題になったように、いくら平和な日本であっても自慢をすることのリスクは、決して小さいとは言えない。なお、この事件は実際に10万円程度しかケース内に入ってなかったという悲しいオチがある。嘘の自慢であっても恐ろしい目に遭う可能性はゼロにはできないことを、このニュースをとして感じた人は多いだろう。

そんな状況を考慮すれば、SNSやyoutubeに関する数字の自慢は、金持ち自慢と比較すればまだ安全な部類だと私は考えている。

もちろん、リアルの場所に限らずSNSやyoutube上で自慢すればリアルの生活を特定する個人情報を晒していない限りにおいては、実生活で危害を加えられる可能性は抑えられる。

 

 

数字が増えれば増えるほどフォロワーの質は悪化し、アンチコメントなどのトラブルが増える

「自慢として成立すること」「比較的安全な部類の自慢であること」の二点があるため、SNSやyoutubeに関する数字の自慢はエスカレートしやすい。

とくに、SNSやyoutubeがあるネット上での数字の自慢行為は、当たり前だが「数字が多い=すごい」という認識を持っている人がリアルの世界よりも集まりやすい。そのため、ネット上では数字を自慢をする人がひっきりなしに湧いてきて競争が激化する。

結果、数字のインフレが起こり昔なら10000人フォロワーでドヤれた人も、「なんだ10000人か」というような状況になる。これは、自慢して「すごい」という反応をする人が数字に慣れてきた結果といえよう。

当然その状況では自慢したい欲がある人は満たされないので、とにかく数字の獲得に躍起になる。もちろん、ただがむしゃらに増やすだけでなく、できるだけ効率的にスピードを意識してしなければ加速するインフレに負けてしまう。

となると、できるだけ数字になりやすい事柄に関する情報発信をするのも必然になる。つまり、手っ取り早く数字になるような、金儲け、政治批判、モテに関するネタ、コンプレックスを煽るネタ、自己啓発、下ネタ、炎上を誘う過激なネタ、健康ネタ…などに関する事柄を発信する。

加えてそれらのネタを情報発信するにしても、できるだけ学の無い頭が空っぽな人でも反応するような、薄っぺらい内容に関して情報発信をするようになるのだ。

 

SNSやyoutubeに関する数字を追い求めると、結果としてフォロワー(客)の人間としての質は下がる。結果、アンチコメントなどのトラブルに悩まされやすくなるのも無理はない…というのが私の個人的な見解である。

芸術よりのクリエイティブ職という仕事柄、フォロワー数やチャンネル登録者数などの数字に悩む人をよく目にするが、私個人の意見としては自分が何かをネット上でコンテンツを生み出したことによる広告収入を主な収益源とする生活を目標にしていないのであれば、数字にこだわる必要性は薄いと感じている。