挑戦して失敗した経験から何も得られてないのにすぐに新しいことに挑戦する癖は改めるべき

自己啓発・意識高い系
この記事は約4分で読めます。

意識高い系と呼ばれる方々は何かと新しい事を始めるのが好きである。

例えばブログを開設する、筋トレを始める、読書を習慣にする、朝活を始める、クリエイターやアーティスト活動を始める等、新たに何かを始める意識高い系の人な人々は数多いが、私がネットとリアルで見た限りだと、それが長続きしたケースは非常に少ない。

そこでなぜ続かなかったのか振り返りるなり反省なりして、次なる挑戦へつなげる知恵やノウハウが身に付けば挑戦は無駄ではないかったのだが、大抵の意識高い系の人たちはそんなことはしない。しても、反省会とは名ばかりの飲み会でへべれけになるぐらいだろうか。

 

 

新しいことを次々とやるのが目的というケースも…

そもそも彼らは続けることが目的ではなく、何か新しいことを次から次に始めていくのが目的というケースもある。或いは、反省もせず何か新しい事に挑戦し続ける自分に酔いしれている、そんな自分をかっこいい大人だと勘違いしている意識高い系を多く見てきた。

意識高い系でもとくに大学生ともなれば、自由な時間は多いはずなのに一つのことに集中するのにはぴったりである。

 

また、何も考えずに新しいことをすれば視野が広がる、とにかく行動してみることが大切だと思っている意識高い系もいたが、新しい経験を通して考察する手間をめんどくさがるケースもあった。

もっとも、新しく挑戦して何を得たいのか、その挑戦を通して自分はどうなりたいのかという目的が曖昧であったために、そんな目的があやふやな状態で挑戦しても、どこを反省すればいいのか、何を学べばいいか

まぁ、目的があったとしても「自分を成長させたい」「視野を広げたい」「社会貢献をしたい」「攻めの姿勢を身につけたい」…などのように、如何にも意識高い系が好きそうな言葉を繋げた目標。掴みどころが無く、もう少し具体的に考えることができればいいのに勿体無…と思うことが多かった。

そんなあやふやな目標で挑戦を繰り返すから、いつまでたっても自分はすごいと虚勢を張り続けるも、現実は中身の無い薄っぺらい人間のままなのね。

 

 

本当にかっこ悪いのは失敗から何も学ばないことなのね

まさかとは思うが、失敗を振り返ることや反省することはかっこよくないことだと考えているのだろうか…という可能性もありえよう。

私自身20代の若者として感じるのは、同世代の失敗に対する向き合い方だ。自分たちは所謂ゆとり世代であり、知力・学力・精神力において劣っているという無力感を感じている…今ならゆとりではなく悟り世代とまで言われる始末だ。(…一応補足しておくが、ゆとり世代だからといって全ての分野で劣っていると決め付けるわけではない。)

故にそんな無力かつ人生に対して半ば諦めを感じており、何か物事に挑戦して失敗しても、そこで反省したところで「仕方無い、だって自分はゆとり世代だから…」と、悔しがることも無く負け犬根性が染み付き、反省することを放棄する悪い癖が自ずと染み付いているように感じられる。

また、失敗したときに悔しがって「こんちくしょう!」という態度でも取れば、同世代からはどこか冷ややかな視線を送られることも多かった。

 

そんなに頑張ったところでどうなるのか。

失敗して泥臭く悔しがる姿なんてかっこ悪い…。

失敗して悔しがるのなんてみっともない。

失敗してもヘラヘラ笑って「なんともなかったよ~ん」と、おちゃらけた姿を見せたほうが仲間受けするだろ…というような視線であった。

 

挑戦しないことをかっこ悪いというのならまだわかる。

しかし、かと言って挑戦して反省もしない、何も得ようと努力しない、ヘラヘラと笑っておどけてみせる…そんな真剣さの欠片も無い姿の方が、不安になって何も挑戦しない姿よりも実にかっこ悪い。

挑戦したのであれば必ず何か技術なり、知識なりの成果を得なければならない。挑戦するだけして、何の成果も得られませんでした…では、貴重な人生の無駄遣いである。

無論、挑戦して成功を掴めるに越したことは無いが、当然失敗することもあろう。大切なのは、その失敗…自分が敗北したという現実から目を背けず、しっかり向き合い何かしらの経験値を得ることなのだ。

 

挑戦するだけして経験値が「0」なら、その挑戦自体に意味は無い。同じ失敗を繰り返さないためにも、貴重な人生を無駄にしないためにも。