嫌なことから逃げる大人が嫌いな理由を語る

逃げ癖・負け癖
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このブログでは、何度も逃げ癖について(主に批判的な)個人的見解を述べているが、何故このように逃げ癖のある人について厳しい目を向けるのかについて語っていこうと思う。

 

仕事において逃げ癖のせいでひどい目あった話

まず、この話は私の仕事上での経験の話である。また、プライベートを特定されるのを回避するため、名前や事業内容の一部等を伏せて書いていることをご理解いただきたい。

私が逃げ癖について厳しいのは、仕事において私自身が実害を被った経験。そして私の仕事仲間で普段親しくしている人が逃げ癖のある人のせいで損害を被った結果、間接的にだが私の方にもその害が飛び火してきた経験があるからである。

 

私自身が実害を被った話

私自身が逃げ癖のせいで被った被害は、音信不通、仕事の遅延、ギャラの振込遅延…という具合である。

当時はまだフリーで働き出したために、人を見る目がまだ十分に育ていなかったことや必要があれば顧問弁護士をつけて対応することについて頭が回っていなかったこともあるが、常識的なやり取りができない人と仕事をしてしまったがために、本来であれば1週間で終わるような仕事が数ヶ月に長引いた。

ある日突然音信不通になり、仕事におけるコミュニケーションは当然できない。頼まれていた仕事のチェックも停滞。もちろんリスクヘッジとしてほかの仕事も並行していたので困窮することこそなかったが、ずっと未解決の案件を持ち続けたまま仕事を続けるのは純粋に気持ちのいいものではなかった。

なんとか連絡がついたと思ったら「作業ありがとうございます」という具合にシンプルな返事がきて、そのまま音信不通。ギャラの請求の際も音信不通が続き、しばらく経ってようやく入金された…という具合である。それほど大した金額ではなかったが、ギャラ未回収の案件をずっと抱えることの精神的負担を身にしみて感じた出来事だった。

ちなみに仕事を依頼してきた人のSNSを見たら、音信不通が目立ちだした頃からどことなく「逃げてもいいよ」的なメッセージをRTやいいねをする光景が見られた。

(私の憶測込みだが)無責任にやさしい言葉を投げかけるアカウントに毒されて、無責任な働き方をした結果、純粋に周囲に迷惑を撒き散らしていたと表現するのが相応しかった。

 

 

間接的に私が実害を被った件

私の仕事仲間(Aさん)はある事業のために、数桁万円ほどの少額の融資を銀行から受けていた。そしてAさんは事業の成功のためにBさんという人(技術者)とコンビを組み、その事業に乗り出した。私は事業の発案者であるAさんの手伝いという形で、間接的にだが仕事をするという関係であった。

当初の予定では、事業は3~5年ほど続ける予定で最初のうちは順調に進んでいた。しかし、突然Bさんが仕事を投げ出して1年ほどで事業は破綻。

なお、補足だがBさんの代わりに働ける人は見つからなかった。そもそもBさんがいるからこそ事業がスタートしたという経緯もあってか、事業を継続することそのものはBさんが抜けた時点で無理であった。

その結果残ったのは、中途半端に進んだ事業(破綻決定)と借金のみ。本来なら早ければ3年で完済、長くても5年ほどで完済の予定だったが、当然1年だけでは完済は叶わず、Aさんは借金だけが残るという結果になった。

 

また、Bさんが逃げた煽りを受け、事業を手伝っていた私の方に「資金繰りが厳しい」という理由でギャラの支払いが遅れる&満額ではなく何回かに分けて支払うという形になった。

Aさんには良くしてもらっていたし、ギャラ遅延の理由がAさんではなくBさんにある事は分かっていたので、ギャラの支払い方法変更については承諾した。しかし、この時ばかりは逃げて待ったBさんに純粋な怒りを覚えてならなかった。(なお、現時点ではAさんの借金は無事に完済している。)

いくら事業にリスクは付き物だし借金は自己責任の部分があるとはいえ、任せられた責任を放棄して逃げた結果、危うく他人を借金地獄に追い込む羽目になりかけた。そして関係者各位にも(金額は小さいにしても)迷惑をかけたというのがこの出来事の一連の流れである。

 

 

現実から逃避した人のせいで、どれだけの人が面倒事を片付けるために現実と向き合っているのかわかっているのだろうか

こういう金が絡む場面において、逃げ癖を発動する人の面倒事に巻き込まれたことがあるからこそ、嫌なことや面倒事から逃げ用途する無責任で自己中心的な大人は嫌いなのである。

自分が抱える苦しさから開放したいがために、多くの人を泣かすことを厭わない。現実から逃避したせいで、どれだけ多くの人が逃げ癖のある人が残した面倒事を片付けるために現実と向き合っているのか…。そのことをわかっているのだろうか。想像する力はあるのだろうか…と思う。

もちろん、たとえようのないブラック企業から逃げる…という例外的な状況なら話は別だが、社会人であれば普通にこなすべき責任、約束、決まりごとから「苦しいなら逃げてもいいよ」と逃げ癖を肯定する声、そしてその声に唆されて安易に逃げる選択をしてしまう大人は心底嫌いである。