「有益」が口癖な人に対していい印象が持てない理由を語る

自己啓発・意識高い系
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この記事は「「本質」が口癖の人に要注意すべき理由を説明する」の続編である。

今回は「本質」と同じぐらいに(主に意識高い系の人が)口癖として使っていることが多い「有益」という言葉に焦点に当てて、どうしてこの単語をよく使う人にいい印象を持てないのか個人的な見解を述べていこうと思う。

 

自分にとって都合のいい情報に対して「有益だ!」と感じている節がある

「有益」が口癖の人は、どうも自分にとって都合のいい願望であったり、自分の淡い夢や希望をそれとなく肯定してくれるような情報に対して敏感に反応すると同時に「有益だ」と感じる傾向がある。

情報の精度や質、内容などを冷静に判断せず自分にとって都合のいい情報を見聞しただけで「これは有益な情報だ」と結びつける思考の癖があると私は見ている。

つまり、自分の願望に沿うような情報であればなんでも「有益だ!」と感じて信じる。たとえそれがトンデモ理論でったり、似非科学であったり、過剰な独自解釈や脚色・誇張が含まれたものであっても信じ込むような”カモ”気質だと思うからこそ、あまり関わり合いになりたくないのだ。

一言で言えば頭が弱いからこそ、関わりたくないしましてや仕事のように責任が発生する状況であれば一緒に働きたくないタイプの人間であると私は判断している。

 

 

有益な情報を知ったからと言ってとくに何も動かない怠け者である

有益な情報を入手したからこそ、その情報を元に勉強なり仕事なりに打ち込む…かと思えばそうではない。

ただひたすら有益な情報集めに勤しむばかりで、なんら行動も起こさない。知識だけ豊富だが、本当にそれだけしかない頭でっかちな人間になってしまうのだ。

(今となっては黒歴史だが)かつて私が意識高い系だった頃、よく異業種間交流会のような人が集まる場に行っては名刺と情報の交換をするだけして、その後とくに進展がない…ということを繰り返している人に頻繁に出くわすことが多々あった。

そういう、セミナーのような何かの会に参加するだけして「自分は成長したな~」とさほど参加前後で変わっていないのに何か大きな仕事を成し遂げて偉くなったと勘違いしている。

そういう痛々しい人を見てきたからこそ、有益な情報集めをしている人を見てもどこか残念な気持ちになってしまい、いい印象を持てないのだ。

 

 

頭の弱い人ならではのワードチョイスとして「有益」みたいな言葉がある

最後に、誤解を恐れずに言えば頭がよく社会でも確かな実力・実績をもち、それに見合う品格や教養のある人は「有益」のようなチープな言葉を使うような真似はあまりしない。

ましてや「稼げる○○」とか「儲かる○○」とか「月収○○万円」とか「月○桁稼ぎました」みたいな、あまりにも品のないプロフィールで自分を飾るような真似はしない。むしろそういう言葉で(負の意味で)自分をセルフブランディングしてしまうのが、意識だけは高いが肝心の頭がよわよわな人である…と私は考えている。

 

少し話は変わるが普段の生活のなかで頭が弱い人…つまり、バカな人の文章をたくさん読むという経験は、それこそ底辺層の人が集まる職場の人事や教育係、教育困難校で働いているしている…とかでなければあまりないものであろう。

基本的に世に出回っている本は出版社による編集がされているので、少なくとも日本語が怪しいレベルの本が市場に出回ることは無い。どの本を見ても「なんか文章の体裁を成してないなぁ…」と感じることはない。内容はどうあれ「問題なく読める」というラインはどの本も超えているものである。

また、学生時代の古文・漢文や現代文の問題も読みづらいものこそあれど、ちゃんと単語を調べて文脈や文章の構成を理解すれば「問題なく読める」ものであった…という経験は、しっかり勉強してきた人ならきっとあることだろう。少なくとも学生時代に普通に授業を受けているなかで、バカな人の文章を読むことはないものだ。

加えて社会人でもちゃんとエントリーシートや面接のような採用試験を行っている職場で働いていれば、日本語が怪しい上司・部下・同僚と出会うことは基本的にない。というか、そういう人は採用段階で大半は弾かれるものなので、本当にバカな人の文章を目にすることは、よほど劣悪な客層に分類される顧客の対応でもない限りは無いものだと思う。

 

しかし、インターネットの世界はそうはいかない。SNSやブログ、youtubeのコメント欄など、様々な人が自由に書き込み投稿できる。当然その中には、日本語能力の怪しいユーザーもいるし、そういう人であっても無編集で自由に投稿し多くの人に見てもらえるのがネット世界の利点(?)である。

そういう多様な人が集まるネット環境に長らく身を置きつつ、過去の意識高い系だった頃の経験とあわせて感じたのは、賢い人だからこそかける文章であったり話し方があるように、頭の弱いバカな人だからこそかける文章や話し方もあるということだ

その文章や話し言葉の中でよく使われる単語として「有益」であったり「本質」というものがある。だからこそ、私は「有益」という言葉をよく使う人にはいい印象は持てないのだ。