学歴や勉強にコンプレックスがある人ほど意識高い系にはまってしまいやすい

自己啓発・意識高い系
この記事は約5分で読めます。

私が今まで自分の出身大学や、それ以外の大学、社会人生活にいたるまでいわゆる「意識高い系」と呼ばれる人と面倒ではあるが付き合ってきた中で気がついたことがある。

それは、意識高い系にハマりやすい人は勉強が出来ないけれども、他人から賢く見られたい、有能に見られたいという特徴がある。見方を変えれば、勉強や学歴に関して何らかのコンプレックスがある人が多いということだ。

 

 

自分を賢く見せたいから意識高い系にハマるのね

勉強が出来ないということや、勉強ができなかったためにいい学歴を手に入れられなかった、そのとこでコンプレックスを抱えることは自然である。

そこで、勉強へのコンプレックスを解消するために、地に足つけて地道に勉強を行っていけばいいのだが、意識高い系と言われる人たちを見ていると、如何に小さい努力で自分が勉強の出来る人に見られるかということにエネルギーを注いでいる。

 

例えば偉人の格言をSNS上やリアルでつぶやくことだ。

かつて偉人(スティーブジョブズとか)の言葉を頻繁に口にして、自己啓発に余念がないタイプの意識高い系の人に何人か出会ったことがあるが、えてして地頭が良い、物事を深く考えているようには見えなかった。

格言に感銘を覚えるだけで、その言葉の意味を深く洞察することをしていない。ただ、そういう格言が好きな同胞(意識高い系)とつるんで酒場で語り合い、自分たちは賢い人間だ、あなたたちとは違うんだ言わんばかりに悦に浸っているという具合であった。

意識高い系の彼ら自身、そういう格言のインプットは出来ているようではあったが、実際に他人に話す、ブログに書くなどのアウトプットの結果を見る限りだと、語彙が乏しい、要点が要点になってない、比喩表現が読者にとって想像しにくくわかりにくい、有名ブロガーの芸風を丸パクリしている…という有様であった。

無理に覚えた言葉を会話文の中に含めたり、文章の中に取り入れようとする試みや努力は評価するが、もう少し冷静になって自分の言葉や文章を推敲する手間をかければ、間違いなくインプットした知識を自身の骨肉にすることもできるだろうし、周囲からも間違いなくオリジナリティのある賢い人に見られるのに…と思った。

しかし、彼らはそういう地味な手間はめんどくさがる。

なんとなくだが意識高い系には少ない努力で最大限の結果を出そうという欲があるように思える。だから、いつまでも付け焼刃の知識で話しているような印象が拭えない。

 

 

また、勉強へのコンプレックスが大きくなると…

・勉強が出来る人は性格が悪いと主張する。

・これから勉強ではなく人間力の時代だと主張して「○○力」という新しい自分だけが作った概念を自身のセミナーで広めようとする。

・勉強だけが人生ではないからもっと人生カッコよく生きないと、と周囲を啓発し始める。

という具合に、極端な思考に陥っている人もいた。

こういう言葉は勉強が出来る人、賢いと思わせられる人が言うからこそ、言葉の重みが増すので当て、勉強が出来ない人が言うとなんだか哀れに思える。

そりゃ、簡単に自分が賢く見られる方法が見つかるに越したことはないだろうけど、そんな物を使ったところでメッキが剥がれてしまうのがオチである。ましてや勉強に関する事であれば尚更。

 

まぁ、意識高い系として生きていきファンを身に付けるためには、勉強ができるということは必須ではない。勉強が出来ないというキャラで活動すれば、勉強に対してコンプレックスを抱いている人の心をつかむこともできるだろうが。

 

 

 

受験勉強のような地道な反復練習が大切なのね

えてして勉強が出来るようになったり、周囲から賢く見られるためには、受験勉強や試験勉強のような地道な反復練習を謙虚に行い、相応の結果を叩き出すことが重要である。綺麗なノートを取るようにしようがしまいが、地道に反復練習を続ければ知識は身につくものである。

しかし、意識高い系がやってることは、そんな基礎にして王道な反復練習をせずに一夜漬けをしているようなものである。…で、その方法が大失敗とはならずにそれなりに上手く行ってしまったので、また、一夜漬けを繰り返すという、なんとも不安定な勉強法が身についてしまっているような状態だ。

大失敗すれば、反省して勉強法を考え直すこともできたであろうが、それなりに成功してしまうと「次もこの方法で行けるかも?」と思ってしまうのが実に厄介。この方法が更に自分自身の首を絞めることになるとも知らずに。

 

まぁ、受験勉強や試験勉強と違って死ぬまで自分が勉強が出来る人間、賢く見える人間だと周囲から思われ続けるためには、それこそ墓で眠りにつくまで勉強し続けることが必要になる。

日本の場合だと高校・大学までで社会人になると、最初のうちはそれなりに勉強をしなくてはいけないが、ある程度慣れると惰性でも出来るようになり勉強をしなくても済む。

生涯学習という言葉が一時期静かなブーム(≒流行ってない)になったが、その言葉も最近は全然聞かなくなった。社会人になると勉強をする時間を確保するのが難しいということもあるだろうけど。

そんな状況であればこそ地道な勉強を続けられる人は、下手に自分をよく見せようとしなくとも自ずと周囲から賢く見られるのではないだろうか…と思う今日この頃。

 

…正直、誰かから常に賢く見られたい、頭が良く見られたいという人生は意識高い系同様に窮屈である気がしてならないが…。