「成人式に行きたくない」と思うのなら、そんな人生を歩んだ事を反省したほうがいい

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もうすぐすれば日本のあちこちで成人式が行われる。

今住んでいる場所と成人式が行われる場所とが遠いために、行きたくても行けないという理由ならさておき、成人式に出たくない、成人式に出るのが憚られると感じているのであれば、それは非常にまずいことのように感じる。

私自身が成人式に行かなかったクチなので、成人式に胸を張って堂々と参加できなかった自分の人生の不甲斐なさを感じてならない。

別に荒れる新成人が毎年大量に出ていて、そういう危険な人たちに絡まれるのが嫌だから、という理由ではなく、純粋に成人式に行く気になれない状況だったので、成人式には参加しなかった。

 

 

成人式に出ないことは正直言って変な事なのね

住んでいる場所の問題等、特別な事情も無いのに成人式に出ないということは、周囲から見ればかなり異質であるように感じる。田舎のように人間関係が狭い場所であれば尚更である。

 

こう、うまく言えないが、

「あぁ、やっぱり成人式に胸を張って出れないような情けない人生を送っているんだ」とか

「成人式に出ない自分を格好いいと勘違いしているだな」とか

「成人式で会いたいと思えるような友達がいない」「成人式で自分に会いたいと言ってくれる友達がいない」とか

「ニートになったり、留年で自堕落に生活を送っており顔見せできないのか」

…という感じに、上手く人生を歩んでいないということを、言葉にしなくとも周囲に伝えているように思う。

まぁ、人生に一度の成人式に行かなかったということを同級生や知り合いが知るとその後の連絡も途絶えて、下手すれば行方不明、死んだ事になっていると扱われてしまうかもしれない。

 

ネットのノリだと成人式に参加しない事を自慢気に言って、それに肯定的なコメントがたくさんつくことがあるが、リアルだとそうはいくまい。

リアルでは成人式なんて普通にしていれば出席できるものであるという考えが一般的。その普通すら出来ない生き方をすんなりと受け入れられる人は少ない。

成人式に出ないとリアルで周囲に言えば、

「なんで成人式に出なかったのか、お前はおかしい」

「成人式に出ないなんて親がかわいそうだ」

「あなたが考えすぎなだけ。気にせず出ればいいのに」

こういう言葉が返ってくるものだ。このような問いを投げかけられてもなお成人式に出ないという時点で、相当不器用な生き方をしていると思うし、その自覚は痛いほどある。

 

成人式のような人生に1回しかない行事ごとに参加できないようなひねくれた性格を持ち、呪われた思春期を歩んできたという事実を、毎年この時期になるとひしひしと感じる。

ゆえにネットの沼に深くハマってしまったのであろうと、猛省している。

 

 

いじめられっ子、ぼっちにとっては成人式は苦行なのね

私自身、小中高校時代と比べて体力面でも学力面でも精神面でも落ちぶれてしまい、成人式に胸を張って出れるような状態ではなかった。

学生時代は人間関係から度々トラブルに起こし、いじめや嫌がらせの的になっていたので、同級生に顔を合わせる気分になれなかった。成人式の日にいじめていた彼らに見つかって何か言われやしないか、笑いものにされないかと不安でならなかった。

そもそもで言えば、学生時代に友達ができなかったような人間…要は「ぼっち」だったので、成人式で旧友との再会を喜び、思い出話に花を咲かせるようなことをすることは不可能であった。

まぁ、ぼっちになってしまう時点で、性格や人間関係の構築スキルに難があるということを世間に知らしめているようなものである。それで上手く生きていけるのなら矯正する必要はないが、社会生活を営むにあたって支障が出ているのであれば、速やかに改善していくべきであろう。

 

そんないじめられっ子やぼっちな人であっても、とにかく成人式とその後に行われる同窓会に行くことで、旧友との再開に予想以上に話が進み、そこから始まる友情や恋愛があるかもしれない。

しかし、その一歩を踏み出さず頑として成人式に出席しないという不器用な生き方を送っている、あるいはこれから送ろうとしている自覚があるのなら、危機感を持った方がいいと自身の呪われた人生を省みて私は強く思う。

 

もちろん、成人式に出ないからといってその後の人生が必ず上手くいかないとは限らないが、出ようか出まいか迷っている最中であるのならば、とりあえず出とく、と気軽に考えるのをおすすめする次第である。

その気軽に動けるフットワークの軽さは、仕事や学業、恋愛や趣味等においても応用が出来るものであると、今になってしみじみ感じる。