不真面目な人ほど仕事ができる人になる理由を語る

仕事・ビジネス
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自分で自分を真面目な性格だと自認している人なら、「どうしてあの人は不真面目なのに仕事ができるのだろうか」とか「あんなに不真面目な人が評価されているのを見るとなんだか真面目に働くのがバカらしくなってくる(ただし不真面目になる勇気はない)」という経験を一度ぐらいはしたことがあろうかと思う。

今回は、この不真面目な人が仕事ができる人になる現象および不真面目に見える人の方が仕事で評価される現象について解説していこうと思う。

 

不真面目に見える人は真面目な人が持つ”ためらい”が無いので積極性を仕事で発揮しやすい

真面目な人と不真面目な人で決定的に違うのは「ためらい」の有無である。

もちろん、ここでいうためらいは何も客を騙すようなブラックなことに対するためらいではない。あくまでも未知のことに取り組む際に発生する気後れや緊張、心配に対して不真面目な人は過剰に反応しない。

要するに、真面目な人のうじうじした部分が不真面目な人にはないので、その分素早く仕事に取り組み成果を上げやすい。

とくにシビアに結果が求められるような場面や、ノルマをこなすことが必要な場面で、このためらいの無さを持っている人は成果を残しやすいし、なによりフットワークが軽いことから注目を集めやすい。

一方真面目を自認している人は、真面目であるがゆえについほかの人たちよりも少し遅れて行動してしまう傾向がある。

そういう人に多いのはためらいなく行動している人を見て「あの人たちはよく調べもせず動いているような不真面目な人だ。どうしてそんな人の方を評価するのだろうか?」と嘆く事である。

もちろん、真面目を自認している人でもちゃんと成果を残せればいいのだが、この手の嘆きを口にする人に限って、時間をかけているわりには良くて不真面目な人と同等、あるいはそれ以下の成果しか残せない。結果、動き出しが遅くて時間をかける割には成果が今ひとつで残念な人(=仕事ができない)と見られやすいのだ。

 

手を抜いても問題無いところで手の抜く技術があるので要領よく仕事を片付ける

上からの続きになるが、不真面目な人は真面目な人から見て不真面目なだけであり、その実態は不真面目というよりは要領がいい人ということがよくあるものだ。

とくに真面目な人と違って、仕事のどの部分であれば手を抜いても問題ないかを見抜くことに秀でており、省略しても問題ないところは省略する。結果、要領よく仕事をこなし評価が高くなるのだ。

しかし真面目な人はこれができない…というよりは、要領よくこなすために自分で判断すること、そしてその判断に対して責任を持つことに対してここでも”ためらい”が出てしまう。

 

不真面目な人と真面目な人の差というのは”ためらい”であると書いたが、もっと深堀りすれば自分で判断を下す能力、そして判断に対して責任持つという気概であると言えよう。

この気概は、とくに周囲の人の言うことを聞いて大人になってきたお利口さんな真面目を自認する人には無い傾向がある。

この手の人は言われたことをやってさえいれば良かった学生時代から、自分で判断を下し責任を持つことが求められる社会人になると、途端にポンコツになるケースが多い。

 

 

同じく不真面目で仕事のできる年上の人から可愛がられる、気に入いられる

真面目な人から見て不真面目に見える人は、同じく仕事ができる人…それも先輩や上司といった年上の人から可愛がられやすい存在である。

とくに、その先輩・上司も不真面目だが仕事のできる人であれば、同じ特徴を持つ者同士として親近感が湧きやすく、気に入られる率も高まる。

えてして仕事ができる人が出世するという仕組みがある以上、不真面目でしっかり成果を残す人と真面目だが成果が今ひとつの人なら前者の方が出生しやすい。また、出世できなくとも職場の居場所w確保しやすい。

そういう不真面目な人が実権を握っている組織においては、同じく不真面目な人の方が好意的に見られやす…という、言われてみれば当たり前の現象が起きているだけにすぎないのだ。

 

最後に

最後に真面目を自認している人に気をつけてもらって欲しいことがある。

不真面目に見える人にも真面目な部分がある…しかし、真面目を自認している自分はそのことにまったく気がついていない可能性を疑うことだ。

とくに、周囲に流されてきたお利口さんタイプな真面目人間は、不真面目な人の持つ真面目な部分…もっと言えば人として評価できる部分を無視して、不真面目な部分ばかりに注目してしまう傾向がある。いわゆるバイアスをかけて、不真面目な人を見てしまう傾向があるのだ。

不真面目な人が仕事が出来る人として評価されている以上、その人から学ぶことも多いし、逆に自分の真面目さが仕事で仇となっていることに気づかされることもある。

流されるように真面目に生きてきた人は、この自分で学び観察する能力が育っていないことがある。この能力こそが真面目な人から見て不真面目だが仕事が出来る人になるためのきっかけだと私は考えている。

 

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