完璧主義を押し付ける人とそうでない人の違いについて語る

完璧主義
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よく

  • 「完璧主義の人はマイルールを他人にも押し付けるのでめんどくさい」
  • 「完璧主義者は自分だけでなく他人にも厳しいからウザがられる」

みたいな話は溢れているものでが、私個人的には完璧主義であれば皆、マイルールを他人に押し付ける人ばかりではないと思うし、むしろマイルールを押し付けてくる人の方が稀だと思う。

今回はそんな完璧主義を押し付ける人とそうでない人に関して、個人的な考察を述べていこうと思う。

 

 

完璧主義だが他人への興味が薄い人は押し付ける意味を感じられない

完璧主義であると同時に、そもそも他人への興味関心が薄く、説教的に関わろうという気持ちが無い。また、自分のことばかりで手一杯で誰かに褒めてもらいたいとか、目立って認められたいという気持ちがあまりない自己完結してしまっている完璧主義者は、価値観の押し付けしないタイプである。

何かとめんどうな人扱いされる完璧主義者の中では、無害であるタイプだが、仕事のように集団で動く必要性がある場面では不適応を起こしやすいことで問題を起こすタイプでもある。

また、もし組織内でこのタイプの完璧主義者が影響力を持ってしまった場合は、本人に価値観をおしつける意図はなくとも、自然と周囲が空気を読んでしまい努力の基準が上昇することによるトラブル(例:過労など)が起きることもある。

 

完璧主義だがコミュ力が無い人は押し付けることがそもそもできない

他人への興味が薄いこと以外にも、そもそも他人とうまくコミュニケーションできないコミュ障な完璧主義者もまた、価値観の押し付けはしない…というよりは、できない。

ただし、コミュ障な完璧主義者は他人への興味があるために他人の努力や行動を見て「完璧にできていない」と一人で憤る傾向がある点が厄介である。

いわゆる正義中毒に陥ってしまう人にもこの傾向があり、何かの表紙に感情が爆発して自分を完璧にコントロールできなくなってしまう厄介な部分がある。

正義中毒の原因は「共感できない人を叩く風潮」にあるのではないかという仮説
ネット・リアル関係なく、何かの話題やニュースについて共感を示さない人や、別の意見や考えを示す人が出てくると、こぞってその人を叩く…という光景は、自粛生活でストレスを感じている人が多い影響もあってか、結構見かけることが増えたと私は感じている。...

 

 

なお、仕事においてはコミュ障であるがゆえに周囲に相談できず一人で抱え込んでしまう傾向もある。

また、コミュ障であることが災いして非協力的な人とみなされ周囲からの好感度も下がりやすい。こうなると、「こんなにも自分は頑張っているのに、どうして周囲は自分のことを評価しないのか?」と被害者意識や世の中を恨む気持ちが強くなって付き合いにくい人になってしまうのだ。

 

 

明確な立場の差の有無で押し付けるかどうかも変わる

単純に完璧主義な人の興味・関心以外にも、その人が置かれている立場によって価値観の押しつけが発生することがある。

わかりやすく言えば、人に何かを教える立場・指導する側にいる立場にいる人は、そうでない人と比べると価値観をおしつけることへの抵抗が薄くなる…という、当たり前と言えば当たり前の話である。

また、状況次第では完璧主義的な振る舞いを全うする事が求められる場面もある。

たとえば

  • 医療現場や人の生き死にがかかっている場面。
  • 受験や就職のようにその後の人生が大きく左右される場面。
  • 多くの取引先とその取引先の信用を保つことが求められる場面。

のように、手を抜くなんてもってのほかな場面においては、完璧主義的な価値観の押し付けが肯定・推奨されるのだ。

もちろん、こういう場面における価値観の押し付け何ら間違っていないし、完璧にこなそうとする姿勢を求めている人は多い。

誰だっていい加減な医療を受けたいとは思わないし、内容が全然間違っている予備校の講義を受けたいとは思わないし、ミスが多いうっかり屋な人と大事な契約を結ぶような真似はしないものである。

ただ、そういったシビアにならざるを得ない場面でもないのに、完璧主義を押し付ける行為はえてして嫌がられるということは、これもまた当たり前と言えば当たり前だと覚えておいて損はない。

 

 

最後に 完璧主義の押しつけを求めている人の存在について

余談だが、私がクリエイティブ職という仕事柄か、完璧にこなすような人の指示を仰ぎたい…いや、できることならその人の言うとおりに動いて認められたい、承認されたいという人の存在を見かけることがある。

そんな、自分からインフルエンサー的な人の熱心なファン(=信者)になろうとする人が出てくる以上、完璧主義を押し付けたがることで満たされたい人も出てくるのだと思う。

もちろん、そういう押し付けたい人と押し付けられたい人の関係で完結するのなら私はどうでもいいのだが、えてしてこの手の関係は集団心理が働いてか次第に増長して変なマイルールを振りかざす厄介集団になる傾向がある。

私が芸術寄りの人間あることも影響していると思うが、やれ「あの表現は間違っててこれが正解である」というような「正解」「完璧」「絶対」のような概念に拘ってありがたがる姿勢というのは、一クリエイターとしては「まぁ、そういうやり方もあるとは思うけど、私はなんか違うと思うなぁ…」と言いたくなる今日この頃である。

 

 

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