褒められ慣れてない人の特徴について語る

人間関係・コミュニケーション
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私の持論だが、褒められ慣れていない人は単純に恥ずかしがりだとか、謙遜ができる…というようなよくある解釈で説明できることばかりではない。

そう思うのは、私がかつて意識高い系の学生だった頃、どうも褒められ慣れていないような半生を歩んで来たであろう人向けに、胡散臭い商売をする人のほめ方を実際に見聞きすることがあったからだ。

彼らの商売相手はおよそ褒められるような半生をたどってきてない…いわばうだつの上がらない人である。そういう人に向けどういうほめ方をすれば、胡散臭い商品でも買ってくれる客になるかを熟知しているかを胡散臭い商売をする人は肌感覚で知っている。だからこそ、ほめ方にある一定のパターンがあり、そのパターンにはまる人を新規開拓で掴んでいく‥というビジネスモデルなのだろう。

…と話がややそれたが、そんな経験を通して感じた褒められ慣れてない人の特徴について、個人的な考察と見解を語っていく。

 

 

「才能がある」「天才だ」のように先天的な部分を褒められるのに弱い

冒頭でも述べたが、褒められ慣れていない人は周囲に理解者がいないとか、環境に恵まれなかった…ということもあるが、そもそも他人から褒められるような半生を歩んできていない。

勉強もロクにせず、かといって体を鍛えるわけでもなく、何かやっても続かず三日坊主、提出物を期日通りに出せないし、いつしか逃げること、休むこと、言い訳のボキャブラリーとその場限りの誤魔化しばかりがうまくなり、劣等感が強い。

そういう人にとって「あなたは努力家」とか「真面目で頑張り屋さん」みたいなことを言っても、まず心に響かない。だらしない自分を知っているからこそ「努力」みたいな怠惰と真反対の褒め言葉を言われても「この人なにもわかってない」と感じるものである。

しかし、こういう人は努力ではなく「才能がある」「天才だ」のように、努力によって獲得できない先天的な部分をくすぐられる褒め言葉に心を強く動かされることがある。

 

…まぁ、まっとうに努力している人間からすれば「そんな都合のいい話があってたまるか」と思うのだが、性根の部分が怠惰であるからこそ、その都合のいい話を信じたがる部分がある。

「めんどうな努力しなくてもいいぐらいに自分には才能があり、それを発揮できれば自分は成功者になれる」というようなストーリーに酔いやすく、またそのストーリーに沿うような褒め言葉に弱いのが、褒められ慣れていない人の特徴なのである。

 

 

褒められると舞い上がるが過度に拒絶する。

そのほかにも褒められ慣れてない人の特徴としては、褒めてくれた人に対する反応が過度に同調するか拒絶するかのように両極端なことが挙げられる。

これはシンプルに褒められてきた回数が少ないからこそ、どういう反応を返せばいいのかという引き出しが少ないことが影響している。

そのほかにも、褒められる…というか他人から良いor悪い評価を受けることそのものが苦手であるために、あえて目立たないような生活をしてきたり、場合によってはひっそりと自堕落な生活を続けた結果、褒められ慣れていない人になっていることもある。

いずれにせよ対人経験とコミュニケーション能力が不足しているのは明らかであり、自業自得な部分もあるが生きづらさを抱えやすい人と言えよう。

 

褒めてくれた人にすぐ依存する。過度に心酔する

上からの続きで褒めてくれた人を拒絶しなかった場合に限るが、自分を褒めてきた人に対して過度に依存してしまうことが褒められ慣れていない人にはよく見られる。

うだつが上がらない半生を歩んできたせいか、どうも他人から肯定されることや承認されることに対して人一倍飢えている部分がある。

しかも、たくさんの人から少しずつ認められる方法ではなく、とにかく一人の人から大量且つ強い承認を受けようとする傾向もある。

そのためか、いわゆる悪質な自己啓発セミナーたオンラインサロン、ビジネス系インフルエンサーのような、全面的に肯定・承認する芸風を持っている人に、半ば吸い寄せられるようにのめり込み心酔していく。

そして、そんな世界にどっぷり浸かれば浸かるほど、普通の社会で生きている人から受ける適度な承認や褒め言葉では満足できなくなる…ということが、褒められ慣れていない人には見られるのだ。

 

 

最後に

上でも述べたが、自業自得で褒められない人生を送ってきた人のことを考えると、私個人の意見としては褒められ慣れていない人を、かわいそうだから配慮するとか優しくすべき人とは思えないのが正直なところである。

とはいえ、褒められ慣れていない人と聞くと「辛い人生を送ってきたんだろうな」と思うものだし、私のように疑いの目見るほうが稀であろう。

基本的に何事も疑ってかかるような生き方は労力はかかるし楽しいものではない。ただ、楽しくはないが逞しく生きていく上では欠かせないものだと思う。

 

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