向いてる仕事がないと悩む人に見られる特徴を語る

仕事・ビジネス
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人生の多くの時間を費やすことになる仕事が、本当にその人がやりたい事、向いている事、満足できる事であれば、それはとても幸せなことであろう。

しかし、多かれ少なかれ仕事に関してなんとなく納得行ってないとか、向いていないとか…そういった不満足な感情を抱く人の方が多数派なのではないかと思う。

ただ、その多数派の中にも、ごくまれにだが「そんな考え方をしていれば向いている仕事は高確率で見つからないだろうな」と思う人がいる。(とくに意識高い系に)

今回はそんな人の特徴について説明していこうと思う。

 

仕事に自己実現を求めすぎている

率直に言うのなら、向いている仕事がないと悩んでいる人は、仕事に対して自己実現の部分を求め過ぎている。もちろん、理想の自分になれることと仕事とを結びつけること自体は否定しないし、仕事にはそういう個人の願望を追求する部分があることは認める。

しかし、同時に仕事とはシビアな金のやり取り、取引先との交渉、責任を負い全うする…といった、夢見がちな人にとっては夢から目が覚めそうになるような「現実」を突きつけられる部分もある。

もっと生生しく言えば、やはり仕事は自分の生活を成り立たせるため収入を得るための活動…という側面も強い。

そういう現実的な部分との折り合いがつけられず、まるで自分探しの旅の途中の気分のままでいる人は、いざ新しい仕事を始めたとしても「なんか思い描いていたものと違う」「ほかの仕事の方がもっと充実できそうだ」と悩みを持ってしまうのだ。

 

 

仕事なのにお客様気分で受け取ることばかりを意識している

また、向いてる仕事がないと悩む人に多いのが、仕事をする上で自分が所属している組織から受け取ることばかりを考えていること。つまり、お客様気分で働いていることだ。

給料や待遇といった受け取って当然のものならまだしも、自分がやるべき仕事に対して主体性や積極性がなく、ぼんやりしていることが多い。

そして、そのことを指摘されると「教育してくれない」「上司は理解してくれない」「この職場は人間関係が悪い」「ブラック企業だ」と文句をいう。

 

まぁ、これは私がフリーランス(自営業)であるからこそ思うことなのかもしれないが、どんな職種であれ仕事をする上では主体性や積極性は言うまでもなく大事である。

とくに、仕事で人から評価されたい、もっといい待遇を受けたいと思う人ほど、お客様気分でのほほんと待っているだけではなく、主体的に周囲の人に働きかけるなり、自分から仕事を取るために提案するなりしていかないと、仕事に対する充実感は薄くなっていくものなのだ。

 

自分を肯定してくれる、承認してくれることを仕事に求めている

お客様気分になっている人にも通ずることだが、向いてる仕事がないと悩む人の中には、どうも仕事において自分を肯定してくれること、承認してくれることを強く求めている傾向がある。

もちろん、所属している職場において仕事ができる人間になれば認めてもらえるだろうが、えてして肯定や承認に飢えている人は仕事ができる側の人ではないことが多いため、仕事に対して不満を抱えがちになる。

また、お客様気分で受け取ることばかりを考えている人は、肯定や承認が自然と与えられるものだと考えている…が、現実は求められている仕事をただこなすような人は、あくまでも「作業員として優秀」程度の肯定に留まり、それ以上は受け取れない。

「作業員として優秀」程度の肯定で満足できればいいのが、肯定に飢えている人はそれでは満足できず「この職場は自分のことを理解してくれない」と不満を持ちやすいになるのだ。

 

 

最後に

余談だが、これは私一個人の意見として聞いて欲しいが、職場はあくまで仕事をこなすのが第一であり、自分を肯定するとか承認されるとかといった部分は少なくとも第一に来るのは、な~んか違うなぁと思う。

また「いい年した大人が、職場でそこまで面倒を見てもらうことを期待するのって…どうなのさ?」という気持ちもある。私の持論になるが職場はあなたを癒す場ではなく仕事をする場所である。もちろん、フリーランスでもそれは同じである。

 

話は変わるが、最近ネット上のビジネス系インフルエンサーに影響されてか、退職してフリーランス(自営業)になる人が増えている。

しかし、この手のフリーランスになった人の中には、どうも仕事を何かのセラピーかカウンセリングか何かと勘違いしている節があるように思う。

私自身そういう働き方をする人を見ていて強い違和感を覚える。仕事というのは他人に金を出させて自分が気持ちよくなるようなものではないし、そういうのをフリーランスならではの仕事だと思っている以上、その商売は先細りするか、あるいは胡散臭い商売に飲み込まれていくのではないか…と見ている。