明らかに自分以下の存在がいると安心する

メンタル・心理
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意識高くあろうととする人には嫌われるのは承知だが、勉強にしろ仕事にしろ自分より明らかに格下の存在がいるという事で、安心感を覚える事は少なくない。自分だってそうだ…すごく安心感を覚える。

しかし、そこで格下ただからといって差別をしたり理不尽な仕打ちを行うのは言語道断ではあるものの、えてして人間とは愚かな生き物であり、立場が格下の人間とわかれば差別も理不尽もしてしまうものである。

 

あっ、自分はまだ最下位ではないという安心感

私自身は自分より格下の存在を見かけると、「あっ、自分はまだ最下位ではない」という慢心安心感を覚えてしまう。勉強にしろ仕事にしろあるグループや人間関係の中で最下位ではないという事実は、かくも人間を勇気付けるものなのかと感動を覚えるほどである。

…そんなことはどんぐりの背比べかもしれないし、傍から見ればみみっちい最下位争いに巻き込まれているだけかもしれないが、最下位でないという事実はもっとポジティブに捉えてもいいのではないかと思う。

 

「自分より年下=格下」こう思いたい人っているでしょ

自分より格下ということを実感するものの一つとして「年齢」は実にわかりやすく明快である。いつの時代も老害人生の諸先輩方が今の若者はダメだという(みっともない)論議を行うように、自分より年下の人を見ると安心しついつい図に乗って高圧的な態度をとったり、求められてもいないのに先輩面で説教を行うものである。

もちとん、年下だからといってその人が必ず未熟で人生経験に乏しいというわけではない。しかし、人間とは実に醜い生き物で自分より年下の人はきっと未熟に違いない、いやむしろ未熟であってほしい、礼儀作法を知らず、経験不足で、教養も品格もなく、そして自分自身はそんな自分を有能であると思っている、そうに違いない…と心の奥底で願っていることもあるだろう。

そうでないと自分が年下のあいつ以上に生きてきた時間は一体なんだったのか?という鶴久厳しい現実と向き合うことになりかねないからである。

 

だから今日も自分より格下の存在を探しテレビをつけ、SNSを探り、匿名掲示板を閲覧する…。今のご時世、そういう後ろ向きなことに邁進する人生を送っている方は少なくないだろう。