私がボランティアをしたくない理由、参加したくない理由

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私自身、率直に申し上げればボランティア活動そのものがどうしても苦手であるし、できれば参加したくないと考えている性分である。

今回はそんな私がボランティア嫌いになってしまった理由や背景について語ろうと思う。

 

私がボランティアをしたくない理由

ボランティア頼みの働き方で苦い思い出をしたことがある

私がボランティア嫌いになった大きな理由は、ボランティア頼みで運営していた学生団体の活動や地域の活動、働か方のせいで苦い思い出を下からである。

単刀直入に言えば誰かを雇って働かせるだけのお金をケチって、無料でこき使わせる。そして無料で働かせた結果手にした功績や結果を鼻にかけて自分の就活のアピールの材料にした人や、若者にしたわれている中高年というセルフブランディングをした人を身近で見てきた経験があるために、ボランティア活動そのものが嫌になったのだ。

私が思うに、こうしたボランティアの活躍を鼻高々に話す人は、他人の働きを軽く見たり他人の自己犠牲を軽視する傾向があると同時に、他人の善意を踏み台にして自分だけ注目や利益を集めようとする強欲な人間であると見ている。

もちろん、集団を率いていく上ではある程度の強欲さは必要だとは思うが、強欲ながらも謙虚さ品格を忘れていけないと強く感じる。

 

ボランティアよりも有償の仕事のほうがやる気が出る

純粋に私はボランティアのように基本無償で働くことよりも、普通の仕事のように有償で働くことの方がやる気が出るからこそ、ボランティア活動が苦手なのである。

また有償だからこそ「しっかり働こう」とか「自分に課せられた責務を全うしよう」という心構えになれるのだが、無償の場合はそういう前向きな気持ちになれないのだ。

こういうことを言うと非常に性格が悪いと思われるかもしれないが、金銭が絡まない職務に対して責任を背負わせること自体不可能ではないのか…というのが私の持論である。

また、善意だけで勘違いして突き進むようなことがないために、金銭のやり取りというある種の責任を背負わす関係の中で働いてもらうこともまた、しっかり働いてもらうためには大事なのではないかと感じている。

 

性格が悪いのでボランティアが綺麗事のように見えてしまう

私自身性格が悪い自分に妙な矜持があるためか、意識的に自分がいい人に思われるような言動を謹んだり、綺麗事や夢のあるようなことを口にすることをためらう癖がある。

そうした心理の現れとして、ボランティア活動という人から善良な人間だと思われやすくなり、イメージ向上をつながる活動に対して、妙な苦手意識が生まれてしまったのであろうと推察している。

もちろん、綺麗事でもやる意義はあるし、それによって救われる人たちがいることもわかっている。しかし、私の場合は別にボランティアじゃなく有償の仕事で誰かに役に立てればそれはそれでいい…と考えている。

どちらも働いて誰かを助けていることには変わりはないし、金銭のやり取りがあるか無いかで優劣をつけることは、正直に申し上げるとどうかと思う。

 

ボランティアよりもやりたいことがある

私自身、ボランティア活動よりもやりたいことがあるからこそ、ボランティアには参加しないという生き方をしてきた。

ありていに言えば、仕事やプライベート、遊びなどを優先したいからこそ、ボランティア募集の情報を見てもあまり気にかけないようにしていた。

とくに、上で触れたボランティアでの苦い経験の影響もあってか、ボランティアに頼り切って自分だけ美味しい思いをする人に巻き込まれるぐらいなら、自分一人の時間やエネルギーを大事にしようという気持ちも強くなった。

こうなるに至った背景を知らない人からすれば、なんて心の狭い自己中心的な人間だと思われるかもしれないが、ボランティアよりもやりたいことがある人を邪険にしていては、自分が本当にやりたいことに時間を費やそうとする時にしんどくなるのではないかと思う。

 

「自粛を要請」に感じるモヤモヤが「ボランティアの協力」にも感じる

最後に、ボランティアの中でもとくに苦手なのが、半強制的にボランティアの協力を求められる状況である。これは「自粛」を「要請」するという状況にとてもよく似たモヤモヤを感じてしまう。

本来であれば自粛は自ら意思でするものであり、他人から命令されてするものではない。しかし、自粛を要請という状況は、他人や組織から命令され渋々自粛をする…という、矛盾があるため強いモヤモヤを感じるのだと私は分析している。

半強制的に求められるボランティアも同様である。ボランティアとは本来自主的にやるものであり、強制されるものではない(と私は考えている)。誰かに働いてもらうことを強制したければ、相応の給料を出して合意&契約を結んだ上で働かせるのが筋である。

しかし、半強制的なボランティアは、本来自主的にやるものを強制している(そして対価はまず無い)という矛盾がある。この矛盾が納得できないからこそ、半強制なボランティアに対して強い苦手意識を抱くのだと思う。