スカッとする系の話や動画が嫌いな理由を語る

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まずはじめに、私はテレビやネットなどで見かける「スカッとする系の話」が大の嫌いである、苦手である、見るだけでゾワゾワする・・・という性分の持ち主である。

今回は、そんなスカッとする話がなぜ苦手なのか、どの部分に苦手意識を感じるのかについて語らせていただく。

 

 

創作臭がしてまともに見てられない

テレビで見かけるものだと、視聴者が投稿してきたスカッとする話をよく見かけるが、そのどれもがどこか、嘘や誇張を含んでいる、事実を面白おかしく脚色しているように思えてならない。

クリエイティブ職である影響かもしれないが、視聴者が体験した(という体裁の)ネタとはいえ、どうも創作臭がしてしまい、怪しさや胡散臭さの方が増してしまう。その結果、スカッとする話をまともに見続けることができなくなり、創作臭い所にツッコミを入れたくなってしまうのだ。

もちろん、ある程度誇張している部分があることは、おそらく多くの視聴者もうっすらと気がついているかもしれない。しかし、そこにツッコミを入れるのは野暮であり、「この話は創作臭いなぁ」と感じつつも、一応は楽しめればここまで苦手意識を感じずに済むような気がする。

しかし、私の場合はどうしても違和感や嘘くささに引っかかるものを感じてしまう癖があると同時に、強くツッコミを入れたくなる困った性分であるために、なるべくその手の番組や動画を見ないようには気をつけているものの、どうしても友人や知人がその手の話をした時に、ぐっとツッコミたい欲を抑えることに努力しているのだ。

 

成敗する側にも非がありモヤっとする

「迷惑な人を成敗してやった」というストーリーのスカッとする話の中には、少なくとも美談やいい話チックで〆ていいもののように思えないものが多いと感じる。

完全な勧善懲悪な話というものではなく、成敗される側も成敗する側もどちらも「それでは筋は通らないと思うんだが」とツッコミたいけれど、結局は成敗される側がたたきのめされて、成敗する側は満足している…という構図に、不公平感というか「世の中そんなにうまく収まらないだろう」という感情を抱いてしまうのである。

これもまた、「嫌な奴が成敗されてよかったね」というノリを素直に楽しめればいいのだが、私の場合、どうも「成敗する側も完璧な正義とは言えないよなぁ」という率直な感想を持ってしまうのだ。

 

 

わかりやすい仮想敵を作って叩いているように見えて苦手

スカッとすることを最終的な目的としているため、あえてわかりやすい仮想敵を作り上げると同時に、それをサンドバッグのように叩きのめしているように見えて、なんだが不快な気持ちになることも多い。

例えば

  • 悪質なクレーマーのおばさん
  • 自分の恋人を奪う性格の悪い同級生
  • パワハラ、モラハラ上等なモンスター上司

など、明らかに「この人を叩いてスッキリする話ですよ」という悪役が出てくると同時に、その悪役をとにかく叩く。

もちろん、悪役だからこそ叩かれても仕方がないことをしているのはわかるのだが、その叩き方がどこかブレーキが効いていないぐらいの過激さで怖さすら感じる。

言うなれば、叩き方がやりすぎており、悪役の方にも少しばかり同情してしまうぐらいのほどである。(まぁ、創作だと思えば同情するのが虚しいことだと思えるのだろうけど…)

 

 

「昔はワルだった」と同じく武勇伝自慢に感じてこっちが恥ずかしくなる

スカッとする話に感じるのが「昔はワルだった」と同じような、自分の過去の活躍を語る人に感じる「恥」の感情である。

私の価値観では、悪いことも、いいこともどちらもそんなに堂々と自慢することではないと思うし、ましてや相手を一方的に叩きのめすような行為でスカッとする行為、一見すると悪いこととは違うように見えるが、見方を変えれば正義の名のもとに他人を屈服させるという暴力を行使しているように見える。

つまり、正しさを振りかざした暴力行為と言ってもいい。果たしてそれを「いいこと」として扱っていいのかは疑問だ。

自分は「いいことをやってやったぜ!」と主張しているが、実はそれは形を変えた暴力に過ぎない。そのことを感じていないように思える姿に「あいたたた…」という、見てはいけないものを見てしまった恥に近い感情を抱いているのであろうと、分析している。

 

スカッとする話を楽しめる人と思われるのが嫌

自意識過剰かもしれないが、他人から「スカッとする話を楽しめる人」と思われることに強い抵抗がある。

あんなに創作臭がして、勧善懲悪と呼べるものでもなくて、一歩間違えれば正義を盾に暴力を振るうというコンテンツを楽しむような感性を持っている人だと思われたくない。

この思いが、私がスカッとする話に苦手意識を感じる根源だと感じている。

 

…ということを述べて、今回はお開きにさせていただく。