SNSやyoutubeなどネット上で動画や文章などを使って影響力を持つ人のことを「インフルエンサー」と呼ぶが、私の個人的な意見では、インフルエンサーと呼ばれる人に、あまり良い印象を持てない。
むしろ、胡散臭いというか、怪しいというか、あまり関わりたくないタイプの人間であることが多いが、そういう人がもてはやされている光景を見ると、複雑な気持ちを感じてしまう。
今回は、「インフルエンサー」が胡散臭いを理由について、個人的な見解を述べさせていただく。
収入自慢、経歴自慢、人脈自慢など自分をすごい人物だと錯覚させる投稿が目立つ
まず目に付くのが、
- 月商3桁万円(月商=売上≠純利益)
- もと上場一部企業、○○大学主席
- (他のインフルエンサー)さんからフォローされています
など、自慢の数々。
また、
- 多額の借金 → 完済してキラキラな生活をしてます
- うつ病で精神を病む → 好きを仕事にして自由に暮らしています
というように、挫折したが現在は成功しているとのたまっている人もいる。
この時点で察しのいい人ならお気づきだと思うが、インフルエンサーは自分がいかに素晴らしい人間であるかを錯覚させるかのような自己演出が目立つ。
自分を実力以上によく見せることで、自分の発信する情報を信じれば人生が変わる。仕事も、勉強も、収入も、恋愛も、自分磨きも、人間関係も、何もかもうまくいくし、自分の思い通りになる…という、幻想を抱かせるよう仕向けているように見える。
つまり、現在の生活になんらかの不満や生きづらさ、精神的な弱さを抱えている人の心に響くような投稿をしているところに、胡散臭さを感じるのだ。
賛同以外の声を呈するだけですぐにアンチ認定する器の小ささ
インフルエンサーの中には辛口な言葉を投稿する人が多い。それゆえに、批判や疑問といった賛同以外の意見が来ることも多い。
しかし、そのような意見が来た時に、
- 「アンチは無視、構うだけ時間の無駄」
- 「アンチは自分に嫉妬しているだけだから」
- 「自分で考えられない人はいつまでたっても、社畜or老害」
など、最初から聞く耳を持たない。
自分と同じ意見を持つ人、自分の投稿にオールOKな姿勢を示す人以外は締め出す。賛同者のみとの交流を深めると同時に、意見を先鋭化させていこうとする。
こうしたコミュニティの色をより強く濃くさせる様は、まさに新興宗教やカルト集団、マルチ商法やねずみ講でも見られたものであり、多くの人が「怪しい」いう感覚を覚える根源だ。
より上のインフルエンサーに媚びるピラミッド構造がねずみ講と瓜二つ
インフルエンサーの中には、自分よりもフォロワーが多いとか、よりその分野での権力や権威のある格上のインフルエンサーに媚びる姿が見られる。
まるで、自分の顧客を集めて利益が稼げるようになると、組織内で出世をして名誉と金が得られるようになる、マルチ商法などにあるピラミッド組織のような構造が、インフルエンサーの界隈にはあるのだ。
すでに影響力のあるインフルエンサーからすれば、新規のファンを簡単に獲得できる可能性が高い。媚びる方からすれば「○○さんにフォローされた」と宣伝して、より自分の影響力を強められる可能性が高い。
双方ともwinwinではあるが、その関係はただ影響力を持ちたいという願望ばかりが先行している。その影響力を社会をよくするためとか、自分を支持している人に何かしらの利益を与えたいから…という観点がすっぽり抜けていることが多い。
ただ、私的な承認欲求や利益のために、自分の支持者を利用している。下手すれば金銭的、精神的搾取の対象にしているように見えてしまうことが、見る人の苦手意識を刺激するのだ。
妙に優しい、過度にいい人アピール、近寄りやすい人演出に違和感がある
自分の個人的な欲求を満たしたいと正直にアピールする方法では、フォロワーは集まりにくい。
そのため、インフルエンサーは妙に優しいとか、いい人であるとか、親しみやすい人ですよ…という、親近感アピールによって、フォロワー獲得に躍起になることが目立つ。
本当は私利私欲のために動いているのだが、それを悟られないために、不自然なまでに親しみやすい人であるという過剰な演出をしてくる。一言で言えば「あざとい」のだ。
当然、異様なまでの優しさに違和感を覚えたり、飾られたあざとさを見透かす人も多い。しかし、ネット上ではリアルと違って相手の本性が見えづらいこともあって、あざとさに騙される人も少なくないのだ。
社会通念上間違ったことをしてもインフルエンサー同士で咎めない。自浄作用がない
過激or突飛な言動が多いインフルエンサーは、その言動がたとえ社会通念や法律、道徳に反するもの、グレーであり批判の声が出てもしょうがないものであっても、それを反省するような真似はまずしない。
それよりも恐ろしいのが、同ジャンルのインフルエンサーが社会通念に反する言動を取ったインフルエンサーを咎めようとしない。つまり、インフルエンサー同士の自浄作用が働かないのだ。
また、これはファンも同じである。インフルエンサーが社会に背くようなことをしても、それを賞賛する。
インフルエンサーもファンも互いに勘違いを強めてしまい、傍から見れば社会に仇なす行為や社会から逸脱する行為をしていても、それを褒めて持ち上げてしまう。そんな異質で異様な集団に見えてしまうことが、インフルエンサーの怪しさにつながるのだ。
見ている人に疑問に思わせる隙すら与えない表現の数々が引っかかる
最後に、インフルエンサーの言葉は、質の悪いテレビショッピングやネット動画の健康食品・器具のCMのような表現が目立つ。
つまり、ロクに自分の頭で考えられないor思考能力が低下している視聴者に、疑問を思わせる隙すら与えないような狡猾な表現をする。例えば…
- 誇大な表現、優良誤認させるような表現
- 不安を煽るような表現&その不安を解消させるような表現をセットでする
- 簡単に何かが手に入ると期待を抱かせる表現
- 二者択一を迫り、それ以外の選択肢を見させないようにする表現
- 投稿を見た人のメンタルを気持ちよくさせる、自尊心を肥大化させる、特権意識を持たせるように仕向ける表現
といった、見る人に何かを購入させる、自分をフォローさせるように誘導させる表現が目立つ。
まるで、投稿を見た人を洗脳させるかのような表現手法を使うところが、胡散臭さを生んでいるのだ。
…と、いうことを述べて、ここでお開きにさせて頂く。
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