この記事は「優しい人が他人を見捨てる理由について語る」の続編である。
私の持論だが、見限られる人は純粋に仕事の能力やコミュ力が低いというような単純な簡単な問題ではなく、むしろ根深い問題を抱えている。
率直に言えば、見限られてしまう人の内面や精神性、人間性と言った、指摘しようものなら即座にハラスメントやマウント認定されてしまいそうなデリケートな部分に問題があると思う。
しかし、デリケートな事であるがゆえになかなか指摘がされにくく、本人が自分で気づかない限りは問題が放置され続けてしまう…という難しくて、厳しくて、救いがない状況も同時に存在している。
今回は、そんなデリケートな部分にあえてツッコミを入れる形で、人間関係で見限られる人の特徴について語ろうと思う。
なお、この記事では主に仕事の人間関係を想定しているが、友人関係のようにカジュアルな人間関係にも当てはまる部分があるので参考になれば幸いである。
関わる側にストレスを感じさせる要素が多いほど見限られやすさは増す
誤解を恐れずに言えば、人間関係で見限られる人は「この人は関わるとめんどくさそうな人だなぁ」と相手に思わせてしまうような要素を持っている。
そしてこの要素が多い人ほど、人間関係の中での優先度が下がる。結果、放置や無視、場合によっては拒否・拒絶の対象になってしまいやすくなるのだ。
誰だってめんどくさい人と好き好んで関わることはしないし、それは仕事のように責任が伴う場面でも基本的には同じである。
もちろん、どうしてもストレスを感じる要素を持っている人と関わる場面は日常生活の中であるものだが、そういう人はちゃんとした組織や集団であれば「人前(客先)に出してはいけない人」とみなされて、閑職に追いやられるなり、教育し直してストレスを感じさせない人に自然となっていくものである。
なお、ストレスを感じさせる要素の例としては…
- 身だしなみが汚い、だらしない、不潔。
- 諦め癖、逃げ癖、サボり癖があり、何か教える側からすれば非常にエネルギーを要する人。(場合によっては無駄なエネルギーを使うハメになりそうな人)
- 思い込みが激しい、人の話を素直に聞けず曲解してしまう癖がある人。
- 精神的に前向きで無い人、一緒にいると萎えるような雰囲気をまとっている人。
- 変な自分ルールがあり頑固な人。
などがある。
こういうことを指摘すれば、今のご時世だとハラスメントや差別になってもおかしくない。
極端な意見だとは自分でも思っているが、ある意味見限られない人になるためにはハラスメントをハラスメントだと思わないように考え方を改める必要性もあると思う。
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集団に対して非協力的、消極的な人もまた見限られやすい
露骨に他人に対してストレスを与えるような要素がない人でも見限られてしまうことはある。
いわゆる優しくて真面目で大人しい…という一見すると、不快感や攻撃性のような印象がない人なのだが、どうも人間関係に馴染めない人は、シンプルに集団に対して非協力的、消極的であるために見限られてしまうのだ。
この手の人は自分が明らかに他人から嫌がられる要素を持っていないと思い込みやすく、露骨に危害を加えるような要素を持っている人よりも、自分の問題点に対して自覚しにくい。
また、消極的であるがゆえに指摘しようにそもそも「この人ってどんな人だったっけ?大人しい以外に印象がないんだけど…」と指摘材料はおろか、親しくなるためのきっかけすら見つからず、人間関係の中でどうしても後回しの対象になりやすい。
仕事をする上で積極的になるべき…という耳にタコができるぐらい聞くであろう意識高い系フレーズは、単に自分のスキルやキャリアを磨くという目的の重要性を説くのではなく、集団内で「内面がよくわかんない人」「ただいるだけのモブキャラみたいな人」にならないことを説くフレーズなのだ。
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最後に
私個人の意見になるが、人間関係は一種の競争であると思う。
ただ、それは相手の労力を奪うというような乱暴な競争ではなく、「この人はコミュニケーションにかかる労力が少ないから積極的に関わりたい」と、いかにコストのかからないめんどくさくない人間になるために自分を磨く…というニュアンスの競争である。
ただ、コストの低い人間はそれはそれで味気ない部分もある…が、味気の無さを補う個性はある程度気心が知れて来てからじわじわと出していけばいいと思う。