人間不信のせいで他人に期待しない人について思うこと

人間関係・コミュニケーション
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過去にいじめられた経験、職場でのハラスメント被害、家庭内不和や失恋などの人間関係の衝突が原因となって人間不信になった人の中には「他人に期待しなければ、自分が傷つくことは無い」という考えを持つ人が多いと感じる。

過去に辛い経験にあったからこそ、その経験を二度と繰り返さないための防御策として他人に期待しない生き方を選んでいるのだと思うが、その生き方は必ずしも良い効果ばかりをもたらすとは思えない。

今回はそんな人間不信のせいで他人に期待しない人に関する、個人的な見解を述べようかと思う。

 

他人に期待しなければ裏切られることはないが、親しくなることも無い

他人に期待しない生き方は確かに身軽である。人間関係のわずわらしさから開放されるし、変に期待を他人にかけない分「期待していたのに裏切られて辛い…病む…」という経験で苦しまなくても済むのも当然だ。

しかし、期待しないことが影響して他人と深く交わることが無くなる。つまり、親しい間柄に発展することがなくなってしまい、孤独や孤立に自らを追い込む生き方であるとも言える。

もちろん、一人ぼっちな生活でも苦にならないのであればデメリットは少なくなるが、もし自分が人恋しくなった時に、誰にも期待を寄せて来なかった生活をしてきたために、声を掛ける人もいなく寂しさを一人で噛み締めるようなことがあったとしても、それは自業自得という他ないのである。

 

他人が自分に対しても期待や信用を寄せてこなくなっても文句は言えない

えてして期待をかけるという行為は、ネット上で人間関係に悩んでいる人が多いコミュニティでは非常に忌むべき行為であり、幸福から遠ざかるような行為だと語られることが多い。

また、生き方や人間関係にもコスパや合理性を追求する(ちょっと浅ましい価値観に偏りがちな)意識高い系の人たちの間でも「ストレスを減らすには他人に期待をしない生き方が一番だ」とか「期待をかけてくる人や期待をしてしまう人は悪だ」という考えが浸透していることがおおいい。

しかし、そんな調子で自分が関わる人に対して期待をかけないままでいれば、次第に自分に対する興味や関心、期待や信用を寄せてくれるような人が少なくなっても文句は言えないと思う。

期待をかけることは「私はあなたを応援していますよ」とか「私はあなたと親しくなりたいんですよ」という好意を相手に伝える側面もある。

それを、幸せから遠のくだとか傷つくのが嫌だとかという理由で避けようものなら、上でも触れたように、自分で自分を孤独な状態に追い込んでしまうのも無理はないと思う。自分から心を開いていないのだから、相手が心を開いてくるようなことは起きないし、そもそも心を開く義理も無いのだ。

 

人間不信から他人に期待しなくなってしまった人は自分を守ることで精一杯に見えてしまう

また、誤解を恐れずに言えば人間不信のせいで他人に期待しなくなった人は、

  • 非常に視野が狭い人
  • 自分を守ることで精一杯な人
  • 自己中心的な人
  • 精神的な余裕がなく関わりづらさを強く感じる人
  • 極端な思考や考えに走っており、ちょっと危険な感じがする人

というように、人間関係を構築しづらい要素が溢れている人のように見えてしまう。その結果、自然と人間関係が希薄になり孤立してしまうことが多いのだと思う。

また、精神的な余裕が乏しい人であるので、仮に関わっていくにしても気を遣うことが多く精神的な消耗やストレスが多いであろうことは容易に想像できてしまう。

さらに、期待をかけることだけでなく、期待をかけられることも嫌がっていると感じてしまうため、仲良くなろうとして期待を掛けることそのものが、人間不信気味な人の負担になってしまうと他人に思わせてしまいやすい。

つまり、仲良くなることそのものを拒んでいる面倒な人だと他人から思われやすく、無意識のうちに自分の印象悪化を招いてしまうのが、人間不信のせいで他人に期待しない人の大きな問題点なのだ。

 

「自分が傷つかないように生きる」という生き方を見て心が傷つく人もいることを忘れてはいけない

また最後に人間不信のせいで他人に期待しない人の多くにかけている視点が、自分が傷つかないように生きるという生き方を見て、傷ついてしまう人がいるということだ。

自分が傷つかないように生きる事を重要視している人は、おそらく他人を傷つける事を嫌がる心を持っている人が多いし、それは素晴らしいことだと思う。しかし、素晴らしい考えではあるが、それは完璧且つ万能な考えでは無いとも思う。

傷つかないためにあえて人と距離を置く、親しくなることを拒む、心を開かず孤独に生きていく…そんな自分で自分を追い込むような寂しく苦しい生き方を見て、心を痛める人が出てくるであろうことは何らおかしくはない。

自分では完璧な生き方だと思っているかもしれないが、その生き方を見て傷つく人がいることを忘れてはいけないと思う。

 

他人に期待しない生き方は、自分を守ることに徹した生き方だとは思うが、一方で自分で自分を追い込んでいるという見方に基づけば、自分も傷つけるしその生き方を見ている他人も傷つけてしまうという生き方だと思う。

傷つくことを恐れるあまりに、結果として(目立ちこそしないが)自分を傷つけるような生き方をしていることを自覚できれば、誰にも期待しないで生きるという極端な生き方を脱せるのではないかと思う。