急に怒ったり、不機嫌になったり、感情を顕にすることはない人。つまり、「優しい」と表現される人は仕事でもプライベートでも好まれやすいだろう。
しかし、そういう優しい人に限ってどこか冷たいというか、なんとなく心を開いていないというか、付き合っていても本心や腹の中がみえてこないというか…ある種の心理的な壁を感じてしまうタイプの優しい人は、きっと少くないと思う。
今回は、そんな優しいのにある種の壁を感じてしまう人の「壁」の正体について、個人的な見解を書こうと思う。
心理的な壁の正体は「他人に嫌われたくない」という気持ちではないか
私が思うに、優しいのに壁を感じる人の壁の正体は「他人に嫌われたくない」という、誰にでもあるごく普通の気持ちであるように感じる。
優しいけどどこかで一線を置くような人は、嫌われたくないから自分の本心を悟られないように優しさで自分を覆う。
優しさで自分を覆っている以上は、相手に対して不信感や違和感を持たれこそするかもしれないが、少なくとも敵視されるような可能性は限りなく低い。
状態としては確かに優しい人ではあるのだが、そこに至るまでの経緯が「優しい人だと思われたい」というような前向きなものではなく「嫌われたくない」という後ろ向きなものであるために、優しいはずなのに妙な壁というか影みたいなものを、相手に抱かせてしまうのだと私は考えている。
言い方を悪くすれば、この手の壁のある優しさは、誰にでもいい人であろうとする八方美人な人によく見られる優しさである。そんな人に親近感を覚えるという方が無理な話だろう。
嫌われたくないから、優しいだけの自分を捨てられないし、距離感も縮まらない
嫌われたくないがために見せかけの優しさを振舞う人に共通している行動にはいくつか共通点がある。それらを以下にまとめてみる。
- 自分が優しさを振舞っている相手が困っている時に、困った顔をするばかりで助けるような真似は進んでしない。見放すような真似をすれば「優しい自分」を捨てることになるが、かと言って困っている相手に向き合うだけの自信もない。結局、一応は優しい自分の保つかのような一応の優しさや寄り添いを振舞うだけになるのだ。
- 自分が優しさを振舞っている相手がヘマを起こして、誰かが一喝する必要性が出てきても、決して叱ろうとせず「今回は災難だったね」と、なまやさしい言葉をかけるだけに留まる。厳しく接して嫌われるようなことを恐れているので、他人に対して厳しくすることができない。そして、その厳しさを振る舞えないことがまた、相手から反省の機会を奪う&増長させる原因にもなっている。
距離感を縮めるとなれば、言い換えれば自分の醜い部分…つまり、優しさで覆っている自分のエゴや未熟さを相手に知られてしまう可能性が高まる。
普段から(一応でも)優しい人という印象が定着している以上、ちょっとでも悪材料が出れば、好印象を失う要因になる。つまり、他人から失望され、呆れられ、そして嫌われてしまう可能性が高まるからこそ、距離感を縮めるような場面で、どこかよそよそしくなってしまうのだ。
とはいえ、あまりにも冷たくしすぎては優しい人という印象は失われる。かと言って、親密になりすぎても化けは皮が剥がれて相手を失望させる。
この二つの葛藤の狭間で揺れ動いた結果、馴れ合いや傷の舐め合いのような関係を作ってしまうのが、他人に嫌われたくないがために優しさを振舞う人によく見られる。
嫌われないように振舞うことは仕事におけるコミュニケーションスキルの一種という側面
正直めんどくさいのなら、一応の優しさなど捨てて自分本位に生きていけば気楽だと思うが、そういう生き方ができるのであれば、最初から一応の優しさで身を纏うような真似はしない。
この記事では、優しさで身を纏うことを否定的に書いているが、一方で嫌われないように振舞うことは社会(特に仕事の面)で生きていく上では、欠かせないコミュニケーションスキルという側面もあると私は考えている。
会社の看板やブランドを背負って仕事をするとなれば、様々な人に対して嫌われるような真似をするのは当然ながら御法度である。ましてや、物申す系youtuberのように喧嘩を売るような真似は言語道断だ。
これは社内の人間関係でも同じだ。何かと嫌われるような生意気な真似をするような人よりも、物腰柔らかく温和な人のほうが安心して一緒に働けるし、職場の雰囲気も壊さないし、各種ハラスメントの火種になる可能性も低い。
一応でも優しさで身を纏える人は、いわば社会にうまく馴染めた人とも表現できるし、決して恥ずべき事ではないとも私は思う。
むしろ、一応の優しさすら振る舞えない人は、言い方は悪いが今のようなハラスメントに対する視線が厳しい社会では居場所を確保しづらいと思う。
…と述べたが、一応の優しさを振舞うことに何の問題がないという結論を下す気はないし、上でも触れたように一応の優しさが過ぎた結果、馴れ合いや傷の舐めないが起きる可能性もある。
ごくありきたりなオチになるが、時には壁を打ち破ってでも厳しさを見せる場面が必要であると同時に、他人から優しさを受ける人も優しい人が見せる厳しさを「ハラスメントだ!」と捉えずに、「叱っていただいた」と捉える心構えが必要なのではないかと思う。
…まぁ、厳しさを愛情だと捉える考え方自体、かなり時代錯誤だとは思うが、古い考え方から何も学ばなくなるほうが、私はある意味怖いと感じる。