ドライな人間関係を職場で選択した結果失敗する人について語る

仕事・ビジネス
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ワークライフバランスだとかプライベートを充実を重要視する風潮があるせいか、どうも(ブラックな意味ではなく)アットホームな職場のように人間関係を濃くすることよりは、適度にドライでビジネスライクな感じを求める人が増えているように思うし、そういう働き方が今の世の中では多くの支持を集めているように思う。

ドライな関係になれば人間関係の煩わしさから開放されるというメリットもあるし、飲み会などの無駄な付き合いによる出費も減る。

おまけにプライベートな時間が増えて、その時間を好きなことに費やせる…と、ドライな人間関係にはメリットがたくさんあるが、個人的には地味ながら今後のキャリアに響くようなデメリットもあると考えている。

今回は、このことについて語ろうと思う。

 

 

「ドライな人間関係を選択すれば居場所を失う」という当たり前の事実に気がつかない人

ドライな人間関係を選ぶことのデメリットは、ドライであるがゆえに職場における自分の居場所を簡単に失ってしまうリスクがあるということだ。

とくに、職場の雰囲気が良くて積極的に交流がある中で、あえてドライに徹し続ける。職場の雰囲気を無視して人間関係に消極的になればなるほど、よほどその職場内で実力なり影響力のある人間でない限りは、居場所を獲得することは難しくなる。

また「私は職場の人間関係に深入りしませんよ」というスタイルを貫けば、当然ながら自分の人となりを職場内外の人にわかってもらえる機会が減る。つまり、親近感を持ちにくい存在になってしまうのだ。

もちろん、これまた職場内で実力なり影響力があればドライなスタイルを貫いても人は集まってくることは期待できる。愛想を振りまかない職人だが、その人の確かな技術であったり仕事への姿勢に惹かれて人が集まる…というようなことは起こりうるだろう。

しかし、なんの実力もなく影響力もない人が同じことをやってもそうなるとは限らない。ましてや、仕事ができない人がドライな対応を心がければ「あの人は仕事もできないし人間関係にも消極的。職場に対する貢献意識も低く、良好な人間関係を築こうとする意思もなく非協力的。シンプルに扱いに困る人でしかない。」という印象がついてしまうのも無理はない。

 

 

ドライな人間関係を選んだ結果、質問しづらくなって自滅してしまう人

仕事に限った事ではないが、ドライな人間関係を自ら選ぶ人に多いのが、自分から人付き合いを避けてしまったことが災いし、問題に直面した時に誰かに質問をするだとか、協力をお願いするだとか…というような誰かを頼ることができなくなって詰んでしまうことだ。

質問ができない。協力もできない。こんな姿勢を貫いていれば仕事での小さなミスが大きなミスになるのも無理はない。また、小さなミスを大きくしてしまうような人間性だと思われて自分の信用が下がるのも無理はない。

信用低下に伴って自分の職場での居心地の悪さは反比例して上がる。その結果、ますますドライな人間関係しか選べない状況に陥ってしまうのだ。

もちろん、自分一人の努力で問題を乗り越えられるだけの能力があれば話は別だが、その場合は「問題が起きても周囲に相談せず自分ひとりで乗り切ろうとする癖(≒隠蔽癖)がある」という見方をされる可能性もある。

仕事であれば問題が起きても自分の力で解決できてよかった…ではなく、どういう問題が起きたのか、その問題をどう解決したのか、再発防止のために何をすべきかを上司に報告したり、場合によっては指示を仰ぐことが地味ながらも重要である。

そういう職務上必要なコミュニケーションから逃げてしまうこともまた、ドライな人間関係を選んでしまう人には多いと私は考えている。

 

(※余談だが「人を頼れなくて困っています!」と言う人ほど、実は人間関係づくりに失敗してしまった結果として頼れない状況になってしまっているということが多いと私は見ている。まぁ、当の本人はあまり認めたくないだろうが…)

 

 

ドライな対応「も」選べる人とドライな対応「しか」選べない人では大きく異なる

私の持論になるが、人間関係を楽にするためにはある程度の振り幅を持っておくことが重要だと思う。

よくネット上だと「人間関係を選ぶようにすれば楽になれる」みたいな話が話題になるし、確かに選べば楽になれるという意見には私も賛同できる部分はある…が、少々説明不足な部分もあるとも思う。

見出しにもあるとおりドライな対応「も」選べる人と、ドライな対応「しか」選べない人では、前者の方が後者よりも人間関係は楽になりやすい。

ドライな対応「も」選べる人は、普段から自分の所属している人間関係でそれ相応の実績があり影響力もあるし好感度も良い。ただなんでもかんでも所属している集団のいいなりになるわけではなく、適度に自分の意見も主張していい感じに公私のバランスを取れるよう努力している。その結果、良好な人間関係になっているのだ。

一方ドライな対応「しか」選べない人は、職場での実績や影響力も乏しく、もとより消極的&非協力的な姿勢を通し続けたために人間関係でしくじってしまっている。しかし、一度しくじった人間関係を元に戻すのは自分のプライドが耐えられないし、何より恥ずかしい。

その結果として、ドライな対応「しか」選べない状況に陥いってしまっている。ただ自滅しているだけというのが実情なのだ。