マウントを取られたり、威張った態度を取る…といった見下される行動をしてくる人は、大抵の人は苦手だろう。苦手な理由は明確で、シンプルに鬱陶しいし不快、ストレスが貯まる迷惑な存在であるので、比較的苦手な理由もわかりやすいものである。
では逆に「自分はあなたよりも格下の存在ですよ~」だとか、「私はあなたを信用しています。あなたのためならたとえ火の中、水の中、どんなとこにも付いていきますよ~」という具合に媚びてくる人を好きになる…ということは、一般的には無い。
では、どうして媚びてくる人が好きになれないかと言われれば、そのことをうまく説明する人は、私個人の意見としてはマウントをとってくる人と比較して少ないと思う。
…というわけで、今回は媚びてくる人が嫌いに感じる理由を僭越ながら語っていこうと思う。
対等な関係を築きたいのに下手に出てこられるとモヤモヤする
意味もなく謙遜したり下手に出るような態度を取る人は、本人が媚びている気持ちはなくとも、傍目には媚びていると見られてしまうことがある。
そしてそういう行動は、言い方を悪くすれば相手と対等な関係を結ぶことを最初から放棄していると見られることもある。
仕事やプライベートの関係で、相手と対等な関係を築きたいと思っている時に、このような最初から対等な関係を放棄してくる人は、相手に対して「この人なんか嫌だなぁ」というモヤモヤとした感情を与えてしまうことになる。
なお、対等な関係を築きたいという点では、マウントをとってくる人も、媚びへつらってくる人もどちらも人をイラつかせる要素を持っていると言える。
媚びるつもりはなくとも相手に敬意を持っていると思っている人にとっては、「自分がマウントをとってくる人と同じ部分がある」と認めることは苦しいと思うが、一種の考えとして頭の片隅にでも入れておくのがいいだろう。
べったりと依存されるのが苦手
媚びるような行動をしてくる人の中には、本人は忠犬にでもなったかのつもりでいるが、相手からすればべったりと依存し、もたれかかってきている迷惑な人のように思われている。結果、苦手な人と見られてしまっていることがある。
また、仮にベタベタとした態度を取るにしても、そこに至るまでに時間をかけて関係を構築してい…つまり、相手と時間をかけて仲を深めていくことが重要なのだが、媚びてくる人はそれを省略していきなり媚びる、相手を肯定しまくる‥というせっかちな部分がある。そして、このせっかちな部分こそ人をイラつかせるのだ、
人間関係における暗黙の了解や順序を無視して突っ走る。でもやっていることは”ヨイショ”の連続。後述するようにそういう行動はシンプルに不気味で何を考えているのかわからない。いや、わかったとしても理解する気にはなれないし、理解しても気持ちよくなれないのは容易に想像出来てしまう。その結果、媚びてくる人は多くの人から苦手な人と思われてしまいやすいのだ。
善意の出処がわからなくて不気味・信用できない
基本的に媚びてくる人は表面的には善意と捉えられる行動をするものである。褒めたり、物を贈ったり、尊敬の眼差しを向けたり…と、そういう行動に悪意を見出す人の方が稀であるし、逆に悪意を見出そうとする人の方が変であると考えるのが一般的だろう。
ただ、善意からくる行動はその多くはどうして善意をしているか…という理由が明白であることが重要であると私は思う。
「善意からくる行動なのだが、どうして自分にそこまで善意を向けているのかわからない」と思われてしまうような善意の行動は、えてして不気味であり、不信感を抱いてしまうものである。
出処のわからない大金を受け取るのが怖いのと同じで、出処のわからない善意からくる行動は、人間関係に不要な違和感を生む。
そんな違和感を生むようなことを、媚びてくる人は意図せずやってしまうからこそ、人間関係において敬遠の対象になってしまうのだ。
小馬鹿にされているように感じて純粋に不快である
媚びてくる人は、相手に敬意をもって接しているように見えるが、その敬意を相手がちゃんと受け取っているというわけではない。
うまく言葉にしにくいが、どうもマイペース、マイルールな善意を一方的にしているというか、相手のことを考えているようで実際そこまで考えておらず、相手を軽くみていて且つ自分のことしか見えていないとうな言動をしている。
しかし、当の本人はそのことに気がつかず「相手のために自分は尽くしてる」と思い込んでいて、「まさか自分が相手のこと小馬鹿にしているはずがない」と自覚することは滅多にない。
媚びられる方からすれば、馬鹿にしたければ最初から馬鹿にすれば(不快ではあるが)ある意味清々するのに、どうも敬意を示しているように見えて小馬鹿にしている‥という、二面性がある人の方が余計に腹が立つ。そういう背景があるから、媚びてくる人は嫌われやすいのだ。
最後に
散々言ってきてアレだが、媚びてくる人の多くは最初から「媚びよう」と思って意味もなく謙る人は少ないと思う。
相手に敬意をもって接することを意識した結果、意図せず「媚びている」と見られていることが大半だと思う。
その時に今までの敬意の姿勢を若干崩せる人は稀だと思うし、大抵の人は責任回避や「怒られないために…」という心理から、謙りを継続してしまうものである。
この場合だと、融通が利かなく不器用な人と表現できる。媚びているから嫌われるというよりは臨機応変な振る舞いができない結果として嫌われると表現したほうがいいかもしれない。
ただ、蛇足になるが臨機応変な対応が取れないのは、それだけ対人能力が育っていないこと。つまり、人間関係にもまれてこなかったことが強く影響しているのではないかと私は考えている。