努力している人の足を引っ張る人の特徴を説明する

自己啓発・意識高い系
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今何かしらの夢や目標に向けて努力している人にとって、その努力の邪魔をしてくる人…つまり、他人の足を引っ張ろうとしてくる人というのは非常に厄介であり関わりたくない人であろう。

今回は、そんな努力している人の足を引っ張る人の特徴について、個人的な見解をのべていこうと思う。

 

「他人の努力の邪魔をする人は暇人」だけでは説明不足

SNSなりyoutubeなりグーグル検索なりで出てくる「足を引っ張る人の特徴○選」的な投稿・動画・記事を見れば、ほぼ間違いなく「他人の努力の邪魔をする人は暇人」という内容を目にすることだろう。

個人的には確かに暇人であるとは思う…が、これだけでは少々説明不足である。

まぁ、踏み込んだ説明をしないほうが「所詮ただの暇人だから情け容赦なく相手を嫌いになれる、哀れな人とみなしてもいい!」と遠慮なく他人を嫌って満足感を得ることが出来る。ちょっとした雑学兼暇つぶしコンテンツとして見れば、受け取り側のスッキリしたい欲を満たせるメリットがあろう。

しかし、後述するように私の持論ではただの暇人ではなく、むしろ自分と同じ境遇や経歴を持つ人、場合によっては同じ志を持った者同士という、仲間意識を持てたかもしれない近しい仲の人が、いつしか足を引っ張るようになる。

そういう心を許せたかも知れない人と距離を置くことに対して、どこか虚しさや寂しさ、世の無常さといった行き場のない感情を持ちたくないのであれば、これ以降読まない方がいいと私は思う。

 

同類だと思ってた人が努力で抜きん出ようとしたとき、人は邪魔をしたくなる

私個人の経験や見識の話で恐縮だが、自分と同じ境遇であり、将来のために何らかの努力をしようと言った者同士という関係は、同じく何らかの夢を追っている人からすれば理想の関係である。

しかし、所詮それは理想にすぎず現実は残酷である。同じ志を持っていても途中で熱意が続かないとか、意欲の差が出てくるとか、スランプによる落ち込み&停滞、嫉妬、やっかみ、そして焦りから「無駄な努力をせず、もっと要領や効率よく努力したほうが賢い」と怠けるための口実を探しに努力する…というような状況が起きて関係がギクシャクしてしまう。

そしていつしかビッグマウスなのに大したことはやってないし、努力しても続かないし小規模。まるで夢と自意識と自己愛だけ肥大化した意識高い系大学生or社会人みたいな、もと同士が出来上がる。(もちろん、場合によっては自分がそうなることも十分にある)

こうなってしまうと、普通にやるべきことをやっており、且つ着実に実力や実績をつけている努力家は、存在しているだけでもと同士にとっては害になる。

ただ普通に努力し今の状況から脱しようとしているだけで、もと同士からすれば自分を否定された気になり気分が悪くなってしまう。頑張っている人を見るたびに、自分の努力不足や能力不足、怠慢や先送り癖、逃げ癖を突きつけられているように感じてストレスを感じる。

そのストレスを自分一人で上手く消化できればいいのだが、中には頑張っている人の足を引っ張るような行為…それも、露骨に悪意ある嫌がらせに出るのではなく「頑張らずにほどほどな生き方の方が長期的には幸せだよ」「頑張ってもメンタルを病むだけだから、もっと肩の力を抜けばいい」と親切で、お利口さんで、いい人で、円滑な人間関係をするのに最適で模範解答みたいな対応で努力している人のやる気を削ごうとする。

 

もちろん、この手の接し方をする人が皆悪人だと決め付けるのは極端だと思うが、自分の鬱憤を善意に包む事で頑張っている人の足を地味に引っ張る行為は、後述するように馴れ合いの関係にどっぷりハマっている人たちの間ではよく見られる。

 

足を引っ張られることが多いと感じる人は、馴れ合いの関係に囲まれている可能性がある

部活動や勉強会などの何らかの目的を持った人の集団の場合、その集団の持つ文化や雰囲気、空気感(社会人なら社風も)のせいで、いつしか熱意が削がれ努力しようとする人の足を引っ張る人が次々と生み出されてしまうことがある。

要するに馴れ合いが主目的として集まっており、お互いがお互いに褒め合って承認欲求を満たし、現実のシビアさや自分の置かれた状況の深刻さを目の当たりにしようとしない。このような行動が当たり前の文化となっている集団は、足を引っ張る人が生まれやすい。

加えて厄介なのは、この手の人間関係は非常に優しく温かい。努力することに対して孤独や不安を感じやすく、一人で頑張れる自信がない人ほど魅力的に移り飲み込まれていく。最初は頑張るぞと意気込んでいても、次第に生暖かさに心地の良さを感じて努力が億劫になる。

そして、周囲の人もまた同じように努力しようと意気込んではいたが、結局のところ努力を中断して停滞していることが多い。

また、同じようにだらけている人同士であるために危機感を持ちにくく、気が付けば集団の持つ「頑張らなくてもいい」という具合に、やんわりと競争や向上心を否定する文化に染まってしまうのだ。

 

最後に

この手の文化に染まらないためには、当然ながらそういう文化を持つ集団に属さないこと。仮に属してしまったら、角が立たないように集団を抜けることが望ましい。

しかし、そもそも孤独に長期間耐えられるだけの人はそう多くない…ということは、長く続く自粛生活の中で、多くの人がわざわざ文章として読むまでもなく感じていることだろう。