やればできる子のまま大人になって失敗する人について解説する

自己啓発・意識高い系
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私がかつて意識高い系な人々と関わって来た時に多かったのが、自分で自分のことを「やればできるタイプ」だと評価していたことだ。おそらくだが、家庭環境や教育環境がこの自己認識を形成しているのだと思われる。

しかし、やればできると自覚している割には、勉強、就職、ひいては友達・恋人含めた公私の人間関係や普段の生活も、お世辞にも良いものとは言えない人が目立った。むしろ、あらゆる面でだらしがないくせに意識だけが突出して高い…というアンバランスさが普通の意識の人よりも目立っており、正直言って残念な人とという印象が拭えなかった。

今回はそんな私の経験を踏まえて、やればできる子のまま大人になったものの、失敗続きな人生を送ってしまう理由について、個人的な見解を述べていこうと思う

 

短期間でやればできることぐらいしか成功体験が無く、長期間の努力ができない

まず「やればできる事」が、受験勉強のようにある程度長期間に渡る努力が必要な事柄を指すのではなく、一夜漬けでどうにかなる程度のテスト勉強のように、多少無計画でもOKな短期間の努力で達成できる事を指しているために、やればできると言う割には失敗続きになるというケースだ。

要するに、無計画且つ付け焼刃の努力でどうにかなるような事で運良く成功してきただけなのに「自分は大学受験や就職活動、ひいてはその後の社会人生活でも成功できるに違いない」と、自分で自分を過大に評価している。

当然そんな調子では、長期の努力がほぼ必須になるような場面で、その場しのぎの努力が実を結ぶことはまずありえないのは、言ういまでもないだろう。

 

余談だが、この手の人はいざ受験や就職活動に直面すると、急に目標を下方修正して、一夜漬けの努力でどうにかなるような進路を目指すようになる。

失敗するのが怖いのか、それとも自分の実力を突きつけられるのが怖いのかはわからないが、本気を出さななくても良い目標に修正することで「自分の本気はまだまだこんなもんじゃない、本気を出せば自分はもっとすごいんだ」と思い込むように無意識のうちに動いているように思えてくる。つまり、逃げ癖を発動しているのだ。

逃げることで「やればできる自分」というイメージは保たれるだろう。しかし、そんな逃げている状態で「自分はやればできる」と言われても、傍から見れば「その”やればできる自分”をなんで今発揮しないの?目標を下げずに正面からぶつかってみなさいよ」とツッコミを入れたくなる衝動に駆られるものだ。

 

「やればできる=一発逆転できる」と捉えているため準備も計画性もない努力になる

ロクな準備も計画もない努力しかできない理由として「やればできる=本気になれば自分は一発逆転できる」と考えていることも影響していると私は考えている。

なんだか、自分のことをフィクションの世界の主人公であるかのように感じており、地道な努力よりも一発逆転のようなドラマティックな展開により、自分の人生が大きく激変する…そんな、夢か幻を見ているばかりで現実が見えていないという印象が、普通の意識の人よりも強かった。

いい方は悪いが、いわゆる基礎学力が低く、コミュ力も無く、社交性・協調性・自分のルックスに対する認識能力が乏しく、人生がやんわりと詰みかけているのに意識だけが突出して高い人は、この手の特徴が顕著である。

 

「やればできる=地味で派手さの欠片もないつまらない努力をする」という堅実な思考ではなく、むしろギャンブラーのような思考である。

だからこそ、派手さばかりを謳うインフルエンサーにハマっては、意識ばかりが肥大化してまっとうに生活してそれなりに成功を収めている普通の人たちから、気が付けば距離を置かれるようになるのも自然なことだと思う。

 

 

やればできる人に見合うような肩書き、ステータスばかりを求めて地道な努力を忌避・冷笑するようになる

やればできるという認識の意識高い系の人々の中には、地道に努力することを忌避or冷笑するような考えを持っている人が目立った。

むしろ「地道な努力では、多くの人を惹きつけられないし目立たない。そんなことより、人が「あっ」と言ういうような肩書きやステータスを取得すること。それこそが、やればできるという自分像をより強固なものにするために重要だ」というような考えを持っていることが目立った。

今風に言えば、「やればできる」というセルフブランディングやキャラ作りをより手早くするために、たとえば有名なオンラインサロンに加入してSNSのプロフィール欄にそのことを明記する。

  • フリーランス(事実上下請けの零細自営業でも可)
  • 社長(事実上自分ひとりで実績らしい実績がない会社でも可)
  • 資格取得(金さえ払えば獲得できるもの。そもそも業務独占資格ですらない)

などの浅はかな効率的な努力によるブランディングをする。そして、自分に大きな実績があるように見せかけることに夢中になる。

その結果、なんとなくすごい印象があるのだが、結局のところハッタリをかましているだけでしかない薄っぺらいの人間になる。

 

当然、中身も実績もある人からは虚飾で彩られた姿を見抜かれてしまうので、社会的に成功を収めている人から良いコネが回ってくることはない。

つまり、社会的な成功を収めるかもしれないチャンスが回ってこなくなるのだ。(まぁ、仮に運良くチャンスが回って来たとしても、上で触れたように逃げ癖を発動してしまい、結果失敗に終わることもあるのだが…)