意識高い系の人と一緒に働きたくない理由を説明する

仕事・ビジネス
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この記事は「ビジネス系・自己啓発系youtuberのファンと関わりたくない理由を語る」の続編である。

私が普段フリーで仕事をしている上で気をつけているのは、いわゆる意識は高いが能力も実績もないスカスカの人間こと”意識高い系”と一緒に働かないようにすることである。これはかつて大学時代に意識高い系の人達と一緒に学生主体の活動をしていた頃の経験からくる、自分の中での決まりごとみたいなものである。

今回は、どうして意識高い系の人と一緒に働きたくないかについて個人的な見解を述べていく。

 

 

意識高い系には「普通」も「まとも」も通用しないので労力を要する

ストレートに言うが、意識高い系には「普通」も「まとも」も「常識」も通用しない。

  • 決まりごとは守らないし、勝手な解釈を加えお互いの認識が食い違うことが多い。想像力に難があると表現するのがふさわしい。
  • 意識だけが高いが、仕事をこなす事務処理能力もなく学習能力も意識が並あるいは低い人よりも低い。
  • そもそもやる気にムラがある。モチベーションが高くないと動けないが、別にモチベがあったとしても能力は決して高いとは言えない。
  • 物事の優先順位を付けるのが下手だが、当の本人はそんな自分を優先順位を付ける能力含め、凡人より優れているor素質があると勘違いを起こしている。当然、勘違いしている事自体を自覚していることは稀。
  • 指摘をすぐ「人格否定」と感じる被害者意識の強さが目立つ。このせいで業務上必要な、ごくごく普通のコミュニケーションすら成り立たず、勝手に敵視して勝手に四面楚歌になる状況を作り出してしまう。

…など、列挙するとキリがない。

(とくに仕事での)人間関係に苦労した人ならご理解いただけると思うが、一般常識が通用する相手というのは、顧客なら良客、新人ならありがたい逸材、同僚なら非常に頼もしく、上司なら尊敬に値するものだ。

しかし、意識高い系は上でも触れたように、常識的な対応が通用しない。意識は高いが、決して能力画高いとは言えず、0から1を作り出すどころか、0からマイナスを作り出すような予想外な行動をするからこそ、一緒に働きたくないと強く思うのだ。

 

 

意識高い系の人は絶対に仲間にすらしない

また、チームで仕事をする場合も意識高い系の人は絶対に入れないようにいている。仮に関わることがあっても、自分の人脈紹介などせずその場限りの関係で和やかに終わるように仕向けている。

意識高い系は普通に頑張って成果を出している人、実績を上げている人からすれば、もっとも嫌いなタイプの人間だからである。

まっとうに努力して、勉強して、自分を磨くことに余年がない人からすれば、意識高い系のような身の程を知らない大馬鹿者と一緒に働くのは、一種の拷問みたいなものなのである。

要するにバカと一緒に働きたくないし、バカがいるような人間関係がもし生まれようものなら、その人間関係から出て一人でやっていくことも厭わない…理屈っぽく説明するのも嫌になるぐらいストレートな嫌悪の気持ちがあるからこそ、意識高い系は仲間にしないのだ。

 

 

実力・実績のある人にとっては「普通に」そして「まともに」働ける環境こそが最高の待遇

私がこのようなねじ曲がった思想を持つようになったのは、中学受験の思い出が影響していると思う。

当時の私はごく普通の公立の小学校から、中高一貫の進学校に行きたいがために、塾のみならず学校でも勉強していた。しかし、そこは公立小学校らしく勉強することをあまりよく思ってない児童や教師もおり、受験期はあまり居心地の良さを感じることはなかった。

むしろ塾のほうが堂々と勉強できた。普通に勉強している私を変な目で見るような人は当然おらず、非常に快適な環境であったと覚えている。

また無事に中学受験で志望校に合格してからの学校生活でも、塾の時同様堂々と勉強することができた。少なくとも勉強することそのものを「あいつ勉強なんかしちゃってるよ」という類の態度で嘲笑する人はいなかったし、勉強中にちょっかいを出す人もいなかった。(逆に小学校の時は割といた。当時は中学受験がそこまでメジャーでなかったのも一因だと思うが。)

 

このような経験のせいか、意識高い系のように痛々しくてどこか真面目に努力する人を見下している口だけ人間(=馬鹿)がいない環境をなるべく確保したいし、確保した以上はなるべく意識高い系は遠ざけるようにしたい…というのが、私が働く上で大切にしている事である。

嫌な言い方になるが、しっかり努力して実力なり実績なりを獲得してきた人にとっては、情報弱者のようなたとえようのない底辺層の人と関わらせないようにすることが、最高の待遇なのである。

接客業で苦労した人がモンスタークレーマーが来ないようにしている店で働くと、そこが天国のように感じるのと同じように、トラブルを起こしそうな人間が来ない状況を用意なり確保なりする。

道徳の教科書にはまず載せられないであろう、多様性重視の現代社会に真正面から喧嘩を売るこのやり方こそが、こと仕事においては(社会的には正しくはないが)実はあると思う。