意識高い系の多くが何者にもなれない理由の考察

自己啓発・意識高い系
この記事は約5分で読めます。

意識高い系に限った事ではないと思うが、今のご時世は何かと普通の生き方とは違う例外的な生き方(例:起業家、アーティスト、youtuber、芸能人など)を志そうとする人が増えているように思う。

増えている理由の一つはインターネット…とくにSNSやyoutubeのような、ネットを使って人と交流したり、そのまま収益を上げる仕組みが整ってきていることがあるだろう。

いわゆる「好きを仕事に!」とか「自分の才能を活かした働きかた」というようなキラキラとしている生活を送る。

そんな「何者」かになりたいと願うが、結局のところ何者にもなれないまま普通の人と同じかそれ以下の生活を送る意識高い系の人に関わってきた経験を通して、今回は何者にもなれない意識高い系がどうして生まれるのかについて、個人的な見解を述べていこう。

 

現実逃避として「何者」かになりたがろうとする

何者かになりたい意識高い系の人々は、必ずしも前向きな理由で何者かになることを望んでいるわけではない。もちろん、表面的には前向きに検討しているフリをしていることはあるが、実態は向き合いたくない現実から目を逸らすための口実として「何者」かになろうとしているのだ。

たとえば意識高い系大学生によくある「起業したい(=経営者になりたい)」という夢は、冷静に見れば将来を具体的に考えているだとか、若いのにしっかりしているというような肯定的な評価を受けやすい夢である。

しかし、起業を夢にする理由をよく見ていくと、

  • 就職活動がめんどくさい。
  • 組織の一員として働きたくない。
  • 会社員として消耗したくない。会社への束縛や出勤が嫌だ。
  • 会社員はこの先AIに淘汰されるから、もっとクリエイティブな仕事をしたい。そのために起業をしたい(どっかのブロガーかビジネス系youtuberの受け売り臭が強い)

などのような本音を持っていることがある。

彼らは普通に働くことを面倒事とみなし、その面倒事から逃げるためのもっともらしい理由として「起業する」と口にしているだけに過ぎない。

 

ちなみに起業を夢見るが、

  • 自分がどういう仕事をしていきたいのか
  • どういうスキルで毎月いくらの金を稼いでいくのか
  • スキルを身に付けるためにどんな訓練が必要なのか
  • スキルを身に付けるための期間と金はどれだけ必要なのか

といった、具体的な起業の中身が無い。仮に具体的な中身を決めようとすれば、就職する以外の生き方に対して現実的に向き合う苦痛を味わう事は避けられない。

そのため、後述するようにろくに頭も働かさせずに、すでに何者かになっている人のコピーになろうとするのだ。

 

すでに何者かになっている人を真似してもうまくいかない理由

意識高い系の人々は、例えばスティーブジョブズの生き方を真似したり、自己啓発書に書かれていることをそのままコピーするものだ。

これは、「何者かになりたいがそのために自分の頭を使う事はめんどくさい。でも、そのままでは何者にもなれないし、何より格好がつかないので、とりあえず自分は何者かになるために前進しているんだ」という実感を楽に味わうために、何者かになった人の真似をしているのだ。

何者かになるためのプロセスを自分で考えていないのは、言い換えれば自分の人生を自分以外の何者かに委ねているのと同じである。

つまり、自分の人生への当事者意識や主体性が欠けている。そんな調子では、自分が目指している人とも違う他の誰でもない何者かになるのが難しくなるのも無理はない。

もちろん、誰かの真似をすることが全て悪だと決め付けるものではない…が、えてして意識高い系は誰かの真似をするだけに留まり、自分で何者かになるために具体的に考える事はせず、派手で煽り調子なビジネス系インフルエンサーみたいな人に心酔する傾向が強い。

まぁ、品のない言い方になるが「信者」という普通の人ではない何者かにはなっている…と、言いようによっては言えるかもしれない。

 

現実逃避している怖さがあるからこそ、何者かになりたい人同士の馴れ合いに依存してしまう

現実逃避として何者かになることを選んでいても、決して将来の不安や心配とは無縁というわけではない。

むしろ、普通の人とは違う生き方をしているからこそ、心細さや孤独感は強くなる。その心細さを解消するためにも、何者かになりたい人は同じ夢や目標を持つ者同士でコミュニティを形成することが多い。オンラインサロンやSNS上でのコミュニティなどは、まさにそのいい例だろう。

ただし、ここで出来たコミュニティのメンバーは同じような性質の人たちであったら…つまり、現実逃避として何者かになることを選んだ主体性の無い人達で構成されるコミュニティの場合だと、高確率で馴れ合いや共依存が起こる。

現実から逃げてきて不安が大きいからこそ、現実を突きつけるような厳しい意見はお互いに言おうとしない。むしろ、現実の打ち消すかのようにお互いに過剰に褒め合ったり、周囲から理解されないことに共感を示して慰め合ったり…と、不気味なぐらいに優しい関係を作ろうとするのだ。

現実逃避をしたい人からすれば、これっぽっちも現実を突きつけてこないコミュニティは非常に居心地がよいものだ。つい居心地がよすぎて長居してしまい、同年代とのキャリアや人脈・人望、人間性、精神的成熟などの差が大きくなってしまっても、このコミュニティにいる限りは、見たくない現実と向き合わなくても済むのが大きなメリットだ。

ただし、コミュニティにいる限りは何者かになりたいと願っているが、結局何者にもなれていない残念な人なのはいうまでもない。かくして、何者かになりたいが、結局には何者にもなれない意識高い系が生まれてしまうのだ。