意識高い系がミニマリストになってしまう現象を考察してみた

自己啓発・意識高い系
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私の観測範囲の話だが、いわゆる意識高い系と呼ばれる人の中には普段から持ち物を少なくする、必要最低限のモノで生活する「ミニマリスト(orミニマリズム)」に傾倒する人が多い印象を受ける。

まぁ、ミニマリスト自体どこか自身への美意識だったり、精神性が意識高い系に通ずるものがあるので、意識高い系の人がハマってしまうのもなんとなく納得できてしまうものだが、どうしてハマってしまうのかについて個人的な見解を述べようと思う。

 

意識高い系の中でもビジネス・メンタル面に興味がある層がミニマリストになる

意識高い系の中でもビジネスでの成功やメンタル面の改善や自己啓発に興味にある人にとっては、ミニマリストの生き方は親和性が高い。

身の回りのものを減らせば、

  • ビジネス面:仕事の意欲を乱すものが減るので、生産性を上げられる。とくに、家でもできる仕事で成功したいという願望のある意識高い系にとっては、ミニマリズムの恩恵は大きい。
  • メンタル面:モノに執着してしまう弱くてみっともない自分とおさらばできる。つまり、手軽に自分の内面を変えて、執着から開放された理想の自分になりたい人には、ミニミリストはうってつけである。

となるからだ。

また、意識高い系の多くは学生を含む若者であり、あえてモノを減らすような生活をすることで、若者らしい自堕落で怠惰な生活に溺れない、自律心のある若者として自分を目立たせることも可能である。(おまけに、モノを買わないので節約もできる。)

何かと自分を大きく見せたいことに余年がない意識高い系からすれば、ミニマリストになることは手軽に自分をブランディングできるコスパの良い方法なのだ。

 

何かを捨てることは簡単に自分が成長できると実感しやすいのでのめり込む

意識高い系の人たちは、ビジネス・メンタルの場面で自分を成長させることに強い意欲がある。

しかし、一方でそのために辛く地道な努力をするのを避けようとしたり「地道なやり方は非効率だ!もっと効率的に行動しなければいけない!」という、自分のものぐさな性格を覆い隠すかのように効率に傾倒する傾向がある。

そんなコスパよく自分を成長させる方法としても、ミニマリストは非常に都合が良い。

純粋にモノを捨てるorモノを必要以上に買わないというシンプルな方法で済む。ビジネス本や自己啓発本を読むのよりも素早くできるし労力も少ない。セミナーに行ったりオンラインサロンに入り浸るお金を支払うこともない。むしろ節約しながら自分のメンタルを鍛えることができる。

せいぜい粗大ゴミや自治体の指定ごみ袋程度のお金しかかからず、おまけに労力も小さい。非常にコスパの良い自己修練であるからこそ、意識高い系はその手軽さに惹かれてミニマリストにハマるのではないかと思う。

 

金銭欲、物欲を手放す代わりに、承認欲求・自己顕示欲は増すばかり

SNSやyoutube、テレビに出ているミニマリストの人たちをよく見ていると、確かに物欲や金銭欲は少ない印象をうける。

しかし、その一方で「ミニマリストとして生きる自分の生き様を注目して欲しい」とか「あたなも今すぐミニマリストになったほうがいいよ」という承認欲求・自己顕示欲は依然として存在しており、モヤモヤとした気持ちになった人は、きっと多いことだと思う。

意識高い系に見られるようにな「(実態は不明瞭だけど何かすごいことをやっている)自分を賞賛してくれ!認めてくれ!」という承認に飢えている姿勢を、ミニマリストの生き様にも感じてしまう。

もちろん、承認欲求すらなくなってしまい世俗と離れた隠遁生活をしてしまうのは、それはそれでまともな社会生活を送れなくなる不安がある。

しかし、かと言ってメンタル面は成長するよりもむしろミニマリストになる前より悪化している。ミニマリストである自分を特別視するあまりにミニマリスト以外の人を蔑むようになったり、周囲の人をミニマリズムに勧誘しようとする姿は、意識高い系が自分よりも意識の低い人を蔑んだり、周囲の人に自己啓発に誘い込む姿と瓜二つである。

 

何かを手放せないと本気になれない時点で意識高い「系」どまりなのではないかとい疑念

最後に辛辣なことを言わせていただくが、何かを手放せないと仕事に集中できないとか、自分の精神的な弱さや未熟さを改善できないという時点で、やはり意識高い「系」どまりなのではないかと感じじてしまう。

「系」ではなく意識の高い人は、自分を取り巻く環境や自分の意欲をそぎ落とす誘惑の数々に関係なく、目の前の仕事に集中する時はきっちり集中できて結果を出している。メンタル面も周囲の環境に左右されず安定した状態や高いモチベーションを維持できている。

一方でミニマリストにハマる意識高い系は、自分を取り巻く環境が自分の意識を低くさせていると決めつけている。つまり、自分が変われないことや成長できない原因を何者でもない自分にあると考えられていないから、環境を変えるという根本的な解決策とは違う解決策を選んでしまう。

結果上辺だけの意識高い「系」にとどまり続けて、周囲からなんとなく距離を置かれるようになっているのではないかと思う。

もちろん、意識の高いor低いが環境に左右される可能性は十二分にあるだろうが、それでも環境のせいばかりにして自分に責任があると考えられていないのでは、やはり意識高い「系」どまりではないかと私は思う。