ミニマリストの自己顕示欲、承認欲求について思うこと

自己啓発・意識高い系
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2010年代の半ばぐらいから流行った、普段の生活で物を持たないような生活をする人。

つまり「ミニマリスト」と呼ばれている人を見ていると、物欲は捨てることができたものの、自分を見て欲しい、周囲から注目されたい…という、自己顕示欲や承認欲求は捨てきれていない人が目立つように感じる。

むしろ堂々とミニマリストな自分を演じて、SNSやyoutubeにて集客を行い自分のビジネスやセルフブランディングにつなげている人もおり、金銭に対する欲望もしっかりと存在しているミニマリストがいる。

ネット上ではそういった欲まみれなミニマリストを「自己顕示欲は断捨離できなかった人」と皮肉る意見が多い。かういう私も「ミニマリストとは一体…」という気持ちになったのは事実だ。しかし、一方で「ミニマリストもやっぱり生身の人間なんだな」という一種の安心感を覚えたのも事実だ。

今回はそんなミニマリストの自己顕示欲や承認欲求に関して、個人的な見解を語ろうと思う。

 

自己顕示欲の強い人が手軽に注目を浴びる方法として、ミニマリストを選んでいるという仮説

私が思うに、ミニマリストになった結果自己顕示欲が強まったのではなく、もともと自己顕示欲の強い人が手軽に注目を集める方法としてミニマリズムを選んだのではないか、と考えている。

というのも、ネットを駆使しして注目を集めるためには、何かしらの能力、経歴などが必要になる。音楽やイラストなどの芸術面で注目を集めたり、海外経験があるとか有名企業に勤めていたなどの目を引くような経歴があれば、もの珍しさゆえにネット上で注目を集めやすい。

しかし、それらの能力、経歴はそう簡単に手に入るものではない。芸術の分野でも勉強・仕事の分野でも努力をして自分を磨く時間と労力がかかるし、努力しても必ず技術や経歴が手に入るというものではないので、簡単に注目が浴びれるとは言い難い。

しかし、ミニマリストの場合は基本的に物を捨てるだけという簡単な作業でなれるので、簡単に注目を集めやすい肩書きorキャラである。

その上、芸術や勉強・仕事での才能と比較してもお金もかからないので、貧乏生活をしている人でも注目を浴びれる素敵な肩書きである。また、注目を集めるだけでなく、金、時間、労力の節約できる。加えて、もしミニマリストな自分にファンが付いたら、ファンから注目だけでなくお金も集めることができる、まさに一石三鳥な肩書きである。

そんな、(うまくいけば)美味しい思いを比較的楽にできるという事に釣られて、自分を平凡な人間だと自覚している、自己顕示欲(ひいては金銭欲も)強い人たちが、ある日突然ミニマリストに目覚めてネット上で過剰にミニマリズムに打ち込む自分を演出しているのではないかと思う。

ただし、ミニマリストがある程度認知されてくると、結局のところミニマリスト同士で人気争いなってしまう。そして、欲から開放されるどころかますます欲まみれになってしまうのだ。

 

ミニマリストは物がなさすぎる生活のストレスを注目を浴びることで解消しているのではないか?

またもう一つ思うのが、極度に物を断捨離したミニマリストな生活は、純粋に生活面で苦労することが多くてストレスが多い。そしてそのストレスを解消するために、自己顕示欲が強まっているのでないかということだ。

空腹になると神経質になってしまうように、今までの生活で適度に物欲が満たされていたのに、断捨離により物欲が満たされなくなってしまった。その反動として自己顕示欲が強まり「満たされなった欲望を満たしたい!」という願望が強まっているのではないかと考えている。

いわば、ミニマリストが自己顕示欲が強くなるのは、一種の人間の自然な反応である。人間が人間として人間らしく生きていくための、防御反応なのではないかと私は考えている。

もし仮に物欲が満たされなくなったことに対して、簡単に受け入れてしまうようなことがあれば、それこそ隠遁生活をしている人や廃人そのものになってしまう。社会で生きていくことが難しくなってしまうし、最悪の場合は生命維持が怪しくなってしまう。

そうならないために、自己顕示欲を強くして何とかして社会との接点を持とうとする。あるいは、他人からの金銭や食料などの施しを受けることで、心身の健康をなんとか維持しようとする本能が、ミニマリストの人を強く突き動かしているのではないかと思う。

 

ミニマリストが自己顕示欲、承認欲求を完全に捨てきれないことについて思うこと

冒頭でも触れたように、ネット上では欲や煩悩を捨てきれないミニマリストを皮肉る意見が多いし、私も皮肉に見てしまうところがあるのは事実だ。

しかし、こうして文章でまとめてみると、完全に自己顕示欲や承認欲求を捨てきれないところが実にどうしようもなく人間らしくて、妙に興味を惹かれる存在であると感じる。

むしろ、「ミニマリスト=隠遁生活者」みたいな印象があったが、そうではなくてやっぱり生身の人間なんだと考えられたことで、一種の親近感がわ湧いてきたような気すらする。

ただし、こんな風になれなれしく人を研究対象としてみるような態度は、おそらくミニマリストな人には受け入れ難いものだとも思う。

自分が何かの研究対象として見られるような注目の集め方ではなく、ミニマリストな自分に対して憧れや尊敬の念といった好意的な注目を求めている人が多いと思うからこそ、今日も今日とて(傍から見ればやせ我慢に近い)ミニマリズムに打ち込む自分を演出しているのだろう。