好きな人に怒られたいという心理について説明する

メンタル・心理
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この記事は「叱られたい、怒られたいと感じる心理についての考察」の続編である。

基本的に叱られること、怒られることは不快なことだし、できれば避けたいと考えるのが一般的だろう。

しかし、中にはそんな一般的ではないが、でもどこか普通に生きている人の心にも響く情熱というか、心意気というか、そういうものを感じさせるものを持つ叱られたい欲、怒られたい欲を持つ人もいるものである。

恋愛の関係であろうとなかろうと、自分の好きな人や好意を寄せている人から叱られたいという欲を持っている人は、私の主観になるが多いと思う。(そしてこの記事を読んでいる紳士・淑女皆様にとってはどうでもいい情報だと思うが、私も好意を寄せている人に対して叱られたい欲を持っている方の人間である)

 

今回はそんな好きな人に怒られたいという心理について説明していこうと思う。何かの参考なり暇つぶしなり、怖いもの満たさ欲を満たすことに繋がれば幸いである。

 

大人になると本気で怒る人がいなくなるからこそ、本気で怒る人に対して親しみを感じるようになる

大人…それも社会人になってある程度経った頃の人でよくあるのが、本気で自分を怒ってくれる人がいなくなったことに対して、どこか寂しさを感じることだ。

まぁ、いい年した大人であれば子供のように怒ることはないし、今のご時世怒ることは愚か叱ることですらハラスメントと見られてしまうリスクがある以上、怒るぐらいなら放置するか、粛々と対応するかで、自分で反省するように促すのが無難なところだろう。

しかし、そういう大人の対応は(わかる人にはわかると思うが)どこか寂しいものもある。まして、恋愛的な関係であろうとなかろうと、自分が好意を寄せている人からそのような対応を受けることは、どこか心理的な距離を置かれているように感じて寂しくなる。

だからこそ、より親しみを感じたい、より距離感を縮めたいという心理から「好きな人に怒られたい」という感情が沸いてくるのだ。

 

 

「怒られること=安心感の獲得」だから怖さよりも嬉しさがある

これは主に女性に多い事例だと思うが、怒られることを一種の守られている、安心感を獲得している…と感じていることがある。

男性の場合でも、どことなく自分が男らしくない部分がある、ナヨナヨしていて弱い部分があることを自覚している人も、好意のある人に怒られると、安心感を覚えることがあるのは私も男として理解できる。

これは推測になるが「本気で怒る人=それだけ自分のことをよく見てくれている人=心強く頼もしい味方」と考えていることが影響していると思う。

上でも述べたように、今や怒ることや叱ることのリスクが大きく、下手に怒りや不快な感情を表出して面倒事になるぐらいなら、何もしないor事務的にサラッと流すことを選ぶ人も多い。

その関係は衝突こそないが、どこか温もりがなく孤独感が強い。だからこそ、本気でぶつかってくれた人というのは、ある特定の人にとっては味方のように感じるのだろう。

 

「怒ってくれた=自分をよく見てくれている」からこそその期待に応えたくなる

上からの続きになるが、上辺でなく本気で怒ってくれる人はそれだけ怒る対象になっている人のことをよく見ている。

つまり、強い興味や関心を持っているからこそ、ある特定の人にとっては「それだけ自分に向き合ってくれている人に対して、何か自分からもお返しをしたい!期待に応えたい!」という感情が沸き上がってくることがあるのだ。

これは、意識高い系の人や心理学をかじったことがある人なら一度ぐらい見聞きしたであろう、好意の返報性(返報性の原理)と言えよう。

とはいえ、やっていることは怒る・叱るといった不快なコミュニケーションであるのに、それに好意で報いようとするのは、少々理解に苦しむものかもしれない。

不快なことをされたのだから、同じく不快感情を出せばいいのにと思う人もいるかもしれないし、そう考えるのが自然だろう。

しかし、不快を快や喜び、嬉しさと感じることもある…という、人間の感性の複雑さ・奇妙さこそが、人間の面白さであり奥深さであり、知的好奇心を刺激する謎であり神秘である…と私は思う。

世の中ビジネス本やビジネス系インフルエンサーの動画のように断言できるほど、単純にできてない。そういう部分を探ろうとして心も体も汗をかくことは、いい頭の運動になると思う。

 

 

最後

余談になるが、普段しっかりしている人ほど淋しさを埋めるために怒られたい欲に飢えているという仮説が私の中にある。

普段しっかりしている人は当然だがひとから叱られるようなことはしないし、むしろ叱るようなところがないぐらいに誠実に暮らしている。

もちろん、そんな生活を過ごせるのは幸せなことなのだが、どこか物足りなくなり一周回ってアホなことをして怒られたい、本気でぶつかってもらいたいという気持ちが湧き出てくる生活とも言える。

逆に、しっかりしていない人はしっかりしている人と比較して、怒られたり叱られることが日常茶飯事であるため、そういったコミュニケーションを嫌がるのも自然だろう。

もちろん、これはあくまでも仮説の段階でしかないが…