優しくしてるのに嫌われる人の特徴を説明する

人間関係・コミュニケーション
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一見すると誠実で、真面目で、まさにいい人そのものという印象なのだが、どうも人間関係の中で上手く馴染めず浮いてしまう。

優しいはずなのになぜか嫌われてしまう人というのは、何かと「共感」が叫ばれる昨今では多いのではないかと思う。

今回は、そんな優しいはずなのになぜか嫌われてしまう人について個人的な見解・考察を述べていこうと思う。

(なお、内容的にいわゆる自分で自分を優しいと自覚している人のメンタルにとっては優しくないと感じる説明が多いので、気分が悪くなりたくなければ無理に読まないことを推奨する。)

 

優しさの裏にある怯えや緊張感が相手に精神的な重さを与えている

優しいのに嫌われる人は、相手に優しさを見せるときに妙に顔や全身に力が入っているかのような雰囲気を漂わせていることがある。

上手く言葉にしにくいのだが、

  • 他人から拒絶される事への恐怖を感じながらも優しさを見せる。
  • 他人をリラックスして関わる経験が少ないためか、どうも張り詰めて緊張している感じの優しさで近寄るのではなく迫ってくる。
  • 「自分はこれだけ誠実で真面目で優しいのだから、どうか自分を受け入れて欲しい!認めて欲しい!」という必死さが伝わる優しさ。

というように、相手に対して精神的な負荷をかけるような優しさであるために、人間関係で上手くいかないのである。

また、こういった態度や仕草からくる不自然な優しさは、「指摘を入れる=その人の人格や人間性への批判」と解釈されてしまう傾向もあるので、指摘が入りにくくいつまでたっても不自然な優しさが継続してしまうという問題もある。

怯えを伴った優しい人に「なんかビクビクしながら優しさ見せるの、ちょっと疲れるからどうにかできない?」という類の言葉を抵抗なく言える人は、そういないだろう。

 

 

自己保身&自己中心的な「優しさ」なのでで関係にヒビが入る

また、優しいのに嫌われてしまう人は、「相手に嫌われないため」だとか「気遣いできるように」という具合に、いかにも相手のことを考えられる立派で思いやりのある人間であるために、優しく振舞おうとする傾向がある。

他人のためを思っている優しさなのに、なぜ嫌われてしまうかというと、それは相手が優しさを自己保身のために使っているものだと感じている。つまり「この人はなんだか自分が周囲からどう思われているかばかりに集中している、自己中心的で視野の狭い人だなぁ」と感じてしまうような不自然さがあるから、人間関係が上手くいかないのである。

…といっても、この辺は上手く文章で言い表しにくく、結構フィーリングや直感による印象も大きい。

拙い説明で恐縮だが

  • 「自分では優しいって思ってるかもしれないけど、それがどうも伝わってこない。」
  • 「私に優しくしてくれているはずなのに、どこか私の方を向いていない気がする。会話しているはずなのに、なんか自分のばかり気にしていて、話し相手である私のことを見ていない気がする」
  • 「私の意向や反応を無視して、勝手に自分で盛り上がって優しさを振りまいている気がする。」

というように、目の前にいる相手を無視してしまっている感じの不自然で不気味で「一体あなたは誰としゃべっているの?」というツッコミたくなるようなタイプの優しさであるために、上手く人間関係が成立しないのだ。

 

優しいのに受け入れられないと感じる人にありがちな末路

「自分は優しくしているはずなのに、なぜか周囲から認めてもらえなくて生きづらい」と感じている人の中には、ふと目にしたチャラいけれど世渡り上手で人から愛され受け入れられている人を見て「なんであの人はあんなに真面目でないのに、受け入れられているんだ!周囲の人は見る目がないのか!」という類の怒りを覚えることが多い。

真面目で優しい自分のほうが魅力があるはず…なのに、現実は真面目とは呼べず、優しさも自分に比べれば下の人のほうが人気者。こうした現実を目の当たりにして、人から愛されている人を目の敵にして、ますます他人に対する緊張感や警戒感を強めてしまう。

結果、優しいに対してどこか気迫迫るもののような重さ、トゲトゲしさ、必死さを漂わせてしまうようになり、ますます人間関係を築きにくくなってしまうのだ。

 

なお、生きづらさを感じている当人は「周囲の人は見る目がない!」と感じているが、実際のところは周囲の人たちはしっかり見る目があると私は考えている。

見る目があるからこそ、緊張や怯えを漂わすような優しさを持っている人と不用意に近づかない。仮に接触したとしても、なんやかんや理由をつけて離れる。まさに、君子危うきに近寄らず…である

自称優しい人は自分を受け入れてくれない人の能力を格下に見る傾向があるが、現実は違う。見る目があるからこそ不気味な優しさを漂わす人には近づかないだけなのだが、その事実を受け入れるのは容易ではない。

自分を見る目がない人のほうが格下であり、優しいが人望のない自分のほうが格上。そう思い込んでいるほうが精神衛生上好ましいからこそ、不都合で残酷な現実を見ようとしない。結果、いつまでも不気味な優しさが残り続けるのだ。