人間関係を切る人が増えてしまうと起きることについて語る

人間関係・コミュニケーション
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「自分が居ても辛いと感じる人間関係は切ればいい」とか「あなたを大事にしない人間関係は切ってもいい」という優しいけど鵜呑みにしてはいけないメッセージがネット上で溢れるようになって久しいが、私はこの手の人間関係を切ることを推奨する言葉については一種の疑念というか危うさのようなモノを感じている。

率直に申し上げるとすれば、個人レベルで人間関係を切っていくのは精神衛生上好ましいが、もしもこれが多くの人が実践するようになれば、非常に殺伐として優しくない人間関係が出来上がってしまうのではないか…と感じてしまうのだ。

今回はこのテーマについて、個人的な見解を述べていく。

 

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人間関係を切る人が増えると起きうること

個人レベルでなら人間関係を切るのはいいが、もしこれがほかの人たちも真似するようになると、以下のようなことが起きると私は考えている。

  • 誰もが自分にとって得なり快になる人間関係を求めようになる。しかしその一方で少しでも損や不快だと感じると遠慮なく切るようになってもおかしくない。
  • 誰もが「自分が得をしたい」とか「安心感を得たい」と強く主張するばかりの人が増えてしまい、結果として非常に優しいように見えて実態は非常に鬱陶しく重苦しい人間関係ができてしまう。とくに閉鎖的なコミュニティほどこの傾向が強く出やすい。
  • いつしか「自分もいつか相手から切り捨てられてしまうのではないか?」という類の不安をうっすらとでも感じるようになってしまって、気持ちが落ち着かない人間関係の中に居続けることになってしまう。
  • 誰もが自己主張をするようになればなるほど、お互いに助け合うとか、妥協点を見つけて協力し合うという関係が生まれにくい。つまり、仕事などで何か一つの大きなことを成し遂げるために意見を調整して協力して物事を進めていく…という「社会性」の無い人が増えてしまう可能性がある。

…まぁ、これについては少々大げさだとは自分でも思うが、安易に人間関係を切るような人はそもそも社会性や人格・性格に何らかの問題を抱えている人が多いように感じる。

もちろん、そういう人たちのことを否定しているわけではない。しかし、この手の社会で生きづらさを抱えている人たちが、「人間関係は切り捨ててもいい」と正論にも見えるが暴論にもなりうる極論地味たメッセージを口にして、ネット上で多くの人に影響力を行使する姿は、一社会人としてあまり良い印象を持てないというのが率直な感想である。

 

 

人間関係を切ろうと考える人に足りていないもの

ここまで「嫌な人間関係は切ればいい」という人間関係リセット論が指示されるようになってきた裏には、この手の論を支持する人たちに足りていないものが影響していると私は考えている。

その足りていないものとは(うまく言葉にしにくくて申し訳ないが)なるべく具体的に言い表すとすれば

  • 自分がどれだけ他人や世間から良くしてもらっているかを自覚する能力
  • 精神的に大人になろうとする力

の2つである。

前者はいわゆる「感謝の精神の有無」とか「常識のありがたさに気づく能力」とも表現できると思う。

人間関係リセット論を指示する人は、自分が関わっている人間関係について不満や愚痴を多く漏らす傾向があるが、一方でそうした人間関係の中で実は自分が助けられているとか、知らず知らずのうちにお世話になっている…など、感謝する部分もあることに気づく能力が乏しい。

ストレートに言えば、物事の悪い部分ばかりを見る癖や強い被害者意識が染み付いてしまっており、物事の善し悪しを総合的に見る能力が鍛えられていない。だからこそ、人間関係リセット論のような極論に走ってしまうのだろう。

 

後者は、やや抽象的になるがいつまでも精神的に幼稚でありわがままであるがために、社会の中で負うべき責任から逃げたり、人間関係をはじめとした少しでも精神的に負荷が掛かることから回避したがる。

多少のストレスなり責任なりはあって当たり前だし、むしろそれらを乗り越えることで社会の中で感謝されたり得られるものもある。

もちろん、金銭的なものに限らず、良好な交友関係や社会的な地位など、自分にとって利益になるものが手に入る…ということがわかっていれば、いい年して「嫌な人間関係は切ればいい」という子供のわがままみたいな意見に対しては違和感を覚えるのだと私は考えている。

 

 

「人間関係を切ればいい」論を支持する人について思うこと

「人間関係を切ればいい」論を支持する人は、決して悪意に満ち溢れた人ではないと思う。むしろ純真だとか真面目だとか素直だとか…というような、いわゆる良い側面を持っている人だと思う。

しかし、そういった良い側面を持っている人だからこそ、気がつけば自覚の無い悪意を実践する。結果、自分で自分を更なる地獄へと追い込むようになっても不思議ではないと考えている。

…話は変わるがかつてテレビ番組の「マネーの虎」で、ナチュラルにめちゃくちゃな投資要求をしてくる出演者に対して「悪意の無い泥棒ほどタチが悪いものはない」という名言が出たことがあった。

人間関係を切ろうとする人はこの名言に共通するものがあると思う。自分が今まさに他人を切り捨てるという悪意への自覚が無いからこそ、タチの悪さに拍車がかかりやすいのだ。