「怒ってくれる人は味方」と考えれば生きやすくなれる理由

人間関係・コミュニケーション
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この記事は前回書いた「叱ってくれる人がいない状況が招く問題について語る」の続編である。

「怒る人=味方」と考えること自体、ちょっと納得いかない人も多いと思うが、少なくとも私は「怒ってくれる人は味方である」という意見には強く同意できる部分がある。

今回は、「怒ってくれる人は味方」という考えについて、個人的な見解を述べてみる。

 

現代では怒るよりも無視・放置したほうが賢い

現代では怒る事そのものが何かしらのハラスメントと認定されるリスクがあるので、怒らずに放置したほうが安全な世の中でもある。

学校や塾、家庭ならまだ「教育」という大義名分があるので、怒ることそのものは比較的容易である…が、ヘタをすれば「行き過ぎた指導」だとか「体罰」「教育虐待」など、何かしらの問題行動だと認定されてしまっても、別に珍しくないのが実情だ。

場合によっては行き過ぎた指導をしていると判断されそうな状況を写真や動画に残して、それをネット上に投稿。必然的にネット炎上が発生して、怒った人が晒し上げをくらうだけでなく、学校などの組織にも影響が出てしまう。

そんな世の中だからこそ、問題を起こしている人は(他人に危害を加えない限りは)怒るよりも無視や放置する方が賢明だと考えている人は少なくない。

また、年を取れば取るほど怒ってくれる人はいなくなる。

「いい年した大人なのだから、自分の不始末ぐらい自分でどうにかすべき」と片付けられることもある。「逆ギレされたらめんどくさい」「怒ったことが原因でハラスメント認定されたらめんどくさい」という理由で、ここでも問題のある人を無視・放置することも珍しくない。

 

怒られ慣れていない人を怒るぐらいなら無視した方が楽

私も実際に仕事で怒る側に回ったことがあるが、ハラスメント認定されないように言葉をオブラートに包みに包みまくったり、相手を過度に落ち込ませないためにアフターフォローをどうすべきかを悩み考えることに労力を割り振るぐらいなら、問題がある人を放置したほうが気楽だと考えることが、正直よくあった。

特に怒られ慣れていない人…つまり、ストレス耐性が低いことが普段接する中で明らかな相手の場合、怒り方のさじ加減が非常に難しくて悩むことがあった。

非常に丁寧に怒っても、まるで自分の全人格を否定されたかのように落ち込む。仮になんとか乗り切れたとしても、しばらく怒った相手の心身の不調が続いて、本調子に戻るまでに時間を要すことがあった。

そんなストレス耐性の低い人と関われば関わるほど、ぶっちゃけストレス耐性が強くて多少のことでは折れないメンタルを持っている人のほうが、非常に仕事がしやすいと感じたし、ある程度タフな人のほうが安心して仕事を任せやすく、職場でグングン成長していった。

私も仕事として多くの人に関わる以上、自分(職場)にとって大きな利益をもたらす人を優先する必要性がある。となると、あまり利益にならない人はどうしても優先度が下がる。結果、ストレス耐性の低い人は後回しにされ、職場の中で自然と無視されるようになる…ということが、私が働く中で感じたことだった。

 

ストレス耐性の低い人ほど「怒る人は味方」という考えを身に付けると生きやすくなれる

ストレス耐性が低くて悩んでいる人ほど、怒る人よりも怒らない優しい人を選ぶ。厳しい職場よりも程々な職場を選ぶ傾向がある。

もちろん、不快なことを避けること自体は理にかなっていると思うが、優しい人や程々な職場であればあるほど、その生きやすい職場をめぐって競争が起きても不思議ではない。

また、不況の影響や人員整理などによって職場の雰囲気がガラッと変わってしまい、「ほどほどの働き方」が許されない状況になる可能性も否定できない。

 

そんな先行き暗さがいつもそばにあるような世の中だからこそ、ストレス耐性の低い人は、自分に厳しく接してくる人を「味方」だと思えるようになれば、回り回って生きやすくなるのではないかと思う。

生きやすさを求めて自分に優しい人ばかりと関わり続けてもストレス耐性は強化されない。むしろ、優しい言葉ばかりをいつも享受していることにより、些細な言葉でも自分をひどく傷つけるような切れ味の鋭い言葉だと捉えてしまう…そんな、繊細すぎる人になってしまうのではないかと私は危惧している。(とくに、最近さの繊細さん、HSPブームを見ていると、そう強く思う)

多少荒々しい人でも、血の気が多い人でも、自分を快く思わない人でも、とりあえずは厳しく接してもらったことに対して拒絶しないこと。

そうすれば、「あの人は多少厳しいことを言われても、被害者意識を丸出しにして周囲を恨むような真似はしない人」と思われて、学校や職場、プライベートなどで安心して付き合える人だとみなされると私は考えている。

怒る方もできれば怒りなれている人やストレス耐性の高い人のほうが接しやすいし、そういうタフさがある人ほど職場でもプライベートでも成長のためのチャンスを獲得しやすい。そして、成長すればますます生きやすくなる。

繊細すぎてすぐに心が折れるような人が求めるような、自分が傷つかないことだけを求めた自分本位な生きやすさではなく、自分も相手もどちらも多少の傷付け合いを許容しあった結果として手に入る生きやすい環境を手にするためには「怒ってくれる人は味方」という考えを身に付ける事は、決して悪いことではないだろう。

 

 

と言っても、大抵の人は自分に対して厳しい言葉を向けてくる人に対してあまりよいイメージを持ちづらいだろうと思う。

極端な人であれば「自分に対して肯定的な意見を見せない人は全員アンチ」という考えを持ってしまうと同時に「アンチは自分に嫉妬しているだけの暇人、かわいそうな人」と思い込んで自分をますます調子づかせる…なんてことをしているかもしれない。

この考え方を受け入れる人自体珍しいとは思うが、その珍しい人の為になれば幸いである。