負けず嫌いな性格と言えば、ひねくれた考え方をしなければ逆境にめげず、ちゃんと努力ができて、勉強や仕事で成果を出す反骨精神のある人…のことを想像するものだろう。一般的に見れば、短所な部分もあるけれど、結果として良い結果をもたらす長所として扱われるものだ。
しかし、私が過去に関わってきた人の中には、どうも負けず嫌いではあるものの、こじらせて他人の邪魔をすることで相対的に自分の負けをマシなものにしようと動いてしまう人がいた。負けず嫌いと一口に言っても、そのどれもがポジティブなものになるとは限らないのだ。
今回は、この手のめんどくさいタイプの負けず嫌いな人の心理などについて個人的な見解をまとめてみた。
負けたくないから他人を引きずり下ろそうとする
冒頭でも述べたが、めんどくさいタイプの負けず嫌いな人、負けたくないからこそ自分が敵対視している相手の邪魔をする。
「負けたくないから自分が頑張る」のではなく、相手を道連れにして相対的にマシな状況へと持ちもうとする…そういう悪あがきに走るような意地の悪い部分が特徴的であると同時に、その意地の悪さこそが「負けず嫌い」という性格の負の側面をよく表していると表現できよう。
もちろん、自分の負けが濃厚である以上、相手の邪魔をしても相対的にマシになるだけで、自分の順位が劇的に上がるような可能性は低い。
むしろ、相手の邪魔をする労力を自分の順位をあげるために使ったほうが合理的であるし、自分の信用や評判を落とさずに済むのは誰が見ても明らかではあるが、それでもなお相手の邪魔をしてしまう姿は、まさに自分の弱さに負けていると表現するのがふさわしい。
こじらせた負けず嫌いを発動する理由について
この手の悪あがきに近いような負けず嫌いを発動をする人は、言い方は悪いが仕事でも勉強でも下のレベルにいる人に多い傾向がある。(あくまでも私の主観で恐縮だが)
憶測になるが、これまでの経験で自分の努力がそれほど実を結ぶものではない…という自分自身の失敗事例を数多く味わってきた結果、「自分で努力する<相手の邪魔をする」ほうが合理的だと判断している可能性がある。
もちろん、単純に自制心やモラルがないという可能性も十分にありうる。追い込まれた状況に対して冷静に対処できるだけの対応力や応用力がないために、つい自分の弱さに負けてしまうほどにメンタル面が弱いという可能性も考えられる。
また、あまりこう言う表現は感心しないが、ネットスラングの「無敵の人」のように、財産、社会的地位、交友関係や今までの人望など、まっとうに生活していくために欠かせないものをそもそも持っていない。
つまり、失うものがない人生を送ってきたために、非常に醜く悪あがきのような負けず嫌いに走ることにそのもの対して、さほど心理的な抵抗を感じていない可能性も十分にある。
なお、一度他人を引きずり落とすことに成功した経験(=狂った成功体験)が元になって、何度も他人に嫌がらせを繰り返している例も考えられる。
ネット上で特定のターゲットに粘着しては相手の心を折り、ターゲットが完全に敗北したら次のターゲットを探す…というようなアンチ活動をしているネットユーザーであれば、人の邪魔をする経験が一種の成功体験として刻まれているとも考えられる
表面的にはいい人のフリをして邪魔をする
邪魔をするときに明らかに敵意むき出しで迫って来る…ということは稀で、たいていは味方のフリをして迫って来ることが多い。いわゆるフレネミーと同じだ。
ただ邪魔をする場合だと、さすがに相手も警戒して慎重になるの、足を引っ張ることに失敗しやすい。場合によっては、姑息な手段に出ている自分の方に批判が集中して、より惨めな状況になるであろうことは、さすがに想像できているのだろう。
そのため二枚舌、褒め殺し、ヨイショのように、表面的には味方のフリをして相手を安心させつつ、堕落や油断をさせて邪魔をするという陰湿な方法を取ることが多い。
また、一般的に自分に対して良くしてくれる人に対して、疑いの目を向けるのは良心が痛む…という心理・現象があるからこそ、あえて味方のフリをしていたほうが妨害活動が成功しやすいという側面もあるからこそ、いい人のフリを近づく。
しかし、よくよく観察していると、どうも不自然な優しさをまとって近づいて来るために、勘のいい人であれば違和感に気づき、妨害行為が失敗することもある。
ただ、表面的には「優しい人」と見られるためか、一度失敗してもそこまで痛手にならず、再度挑戦するなり、他の人にターゲットを変えやすい。一度の挑戦で妨害を成功できなくもそこまで気にならず、執念深さがあれば何度もトライできるという実に嫌な特徴があるのだ。
最後に「負けず嫌いな性格=自分を奮い立たせて努力する」とは限らないことについて書いてきたが、当然ながら全ての負けず嫌いな人がこのような狡猾な行動を取るわけではない。
負けず嫌いな性格であるために、自分に厳しくし、他人の妨害をすることなく、立派な成果を叩き出す人がいるのは事実であるし、主観になるがまともな負けず嫌いの方が、まともな人間関係においては多数派であることは補足しておく。