褒め合いのマイナスの効果について解説する

人間関係・コミュニケーション
この記事は約5分で読めます。

職場の研修や部活やサークルのレクリエーションなどで親睦を深めるために、お互いにいいところを見つけて褒め合うというコミュニケーションを取り入れている事は多いだろう。

また、昨今の「自己肯定感」ブームもあってか、他人を褒める&他人から褒められるというやり取り絵を通して、お互いに自信を身に付けることは、基本的に良いこととして捉えられている風潮があるように感じる。

しかし、褒め合う事は決して良いことばかりではなく、過剰なプライドや高すぎる自己評価を身につけてしまうという負の側面があると私は考えている。

今回は、そんな褒め合いの関係の負の側面について語ろうと思う。

 

褒め合うことで起きるプライドの肥大化問題

褒め合いの関係でよくあるのが、褒められた当人のプライドが現実の自分以上に大きくなってしてしまうことだ。

当たり前だが褒め合いの関係では、厳しい指摘や鋭い意見といった否定的と捉えられやすい発言・態度が出てくる事は無い。

むしろ、そういった厳しい意見を徹底的に排除する。「褒める」という優しさにあふれた環境を作ることで、安心感や帰属意識を強めたり、自信を養うことを目的としている人が集まる関係であることが多い。

最初のうちは褒め合うことで自信を身につけていく…が、次第に自信過剰になってしまう。つまり、意の中の蛙状態になってしまう。

その結果、コミュニティの外に出てしまうと評価のギャップを突きつけられて大きなショックを受けてしまうのだ。

 

もちろん、ここでコミュニティ外の評価を受け入れ、ショックから立ち直れるだけの強さがあればいいのだが、大抵は余計に傷つくことを恐れて褒め合いのコミュニティに逆戻り&傷の舐め合いにのめり込む傾向がある。

…まぁ、そもそも誰からも否定されることがないような(言い方は悪いが異様に甘い)人間関係にのめり込む時点で、普段からプライドや自己愛の強さや、精神的なうたれ弱さを薄々でも自覚している人が喜びそうな人間関係とも言える。

 

褒め合いの外の関係でどのような苦労をするのか

褒め合いの関係に慣れてしまった人が具体的にどのような苦労するのかについて、以下で詳しく説明していく。

 

コミュニティ外での自分の客観的な評価にひどく傷つくと同時に、コミュニティ外の人間を敵視するようになる

プライドが肥大化しているため些細なことでも傷つきやすくなりショックを受ける…と、上では説明したが、それだけでは済まず

  • 「自分のことを評価しない人たちの方がおかしい」
  • 「あの人たちは自分を見る目がない」
  • 「否定的な意見を口にする人は嫉妬しているだけだ」

と、外部の人や組織を敵視する言動をしてしまうことがある。

自分を傷つけてくる(と当人は思っている)人を下に見ることで「自分を悪く言う人のほうが問題があるのだから、その人の意見は聞くに値しないものである」と自分に言い聞かせている。つまり、あくまでも肥大化したプライドを保つ方向性で自己肯定しているのだ。

このような自己肯定をする人は、えてして実力は微妙なのに自信だけは過剰であるというギャップが目立つ。また、ある分野の初心者や初学者、ほぼ新人のような人に多く見られる。

なお、一昔前なら「その鼻っ柱をへし折ってやるぞ」という教育により矯正されていったが、現代では鼻っ柱をへし折ること自体が何かしらのハラスメント認定されてしまうリスクがある。そのため、誰からの指摘を受けることなく、天狗状態のまま放置されることが少なくない。

 

高すぎる自己評価のせいでコミュニティ外での人間関係構築ができない

すぐ上でも説明したように、コミュニティ外の人間を敵視するので、当然ながらコミュニティの外で人間関係を築けなくなる。つまり、人間関係が広まらないのだ。

もちろん、プライベートの関係であれば無理に人間関係の輪を広めなくてもいいだろう。しかし、これが仕事や受験、部活動や就職活動など、コミュニティの外から何かしらの評価を受けることが避けられない関係だと、ほぼ間違いなく苦労する。

よくあるのが、自己評価の高さが過剰であり外部の人間とコミュニケーションが成立しないために、仕事を貰えずに経済的に苦労する、就職面接で落ち続ける、受験で失敗する…などである。

外部の意見を取り入れれば改善できるような場面でも、頑なに意見を聞かない。というか、積極的に外部と関わろうとせず、内にこもり続けて思考が硬直化する。一言で言えば、実力の無い頑固者になってしまうのだ。

 

褒め合いの関係にとどまる限り、自分(達)の何に問題があるかを自覚できない状態が続く

褒め合いの関係の恐ろしい所は、関係の外でトラブルが起きて苦労したとしても「そのトラブルや苦労をどうやってなくしていこうか」とか「自分(達)の考え方にどうズレているのか」という建設的な議論が行われない。

つまり、いつまでも「自分達は何も悪いところはない」と、肥大化した自己像を肯定し続けてしまい、ますます外部の関係とのズレが深刻になることだ。

とくに「褒める」という一般的に見て良い事をしているために「まさかその良いことが結果として問題を招いている」という皮肉な状況を進んで認めようとはしないことが多い。

良いことをしているのだから自分たちは間違っていないし、むしろ自分たちを間違っていると指摘してくる人のほうが間違っている…という考え方でコミュニティが染まってしまうのだ。

こうなると傍から見れば「めんどくさい人たちの集まり」とみなされ、好き好んで関わろうとする人は減る…が、これは決して良いことではなく集団が暴走する準備が完了した合図だと私は見ている。