「根拠のない自信より根拠のある自信の方が危険」説が嘘だと思う理由

自己啓発・意識高い系
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意識高い系の情報に触れたことがある人なら「根拠のない自信」と「根拠のある自信」という言葉は、一度ぐらいは見聞きしたであろうと思う。

えてして、「根拠のない自信」は強固で「根拠のある自信」は脆い…と説明されて「だか根拠のない自信を身につけましょう!」と続く記事なり動画なりが多いものだが、私個人の意見としては、今世の無い自信よりも根拠のある自信を身につけることの方が無難で利益があると思う。

今回はこれについて語っていこうと思う。

 

 

根拠のある自信は決して簡単に手に入るものではない

よく根拠のある自信は、学歴や職歴などの肩書きを身に付けることと説明される。肩書きは多くの人から見て理解しやすく、また自分自身でも理解しやすい。

だが、何らかの理由で肩書きが失われるor肩書きとしての効力が薄くなってくると、たちまち自信を失うことになるので、根拠のある自信は脆く根拠のない自信に劣ると説明されることがある。

しかし、私が思うにこの手の肩書きを手に入れるのは決して楽なものではない。

学歴にしろ職歴しろ、成果を上げるために努力を継続する必要性がある。そして自分ひとりの自己満足の努力ではなく、たとえば試験を受けたり他人から客観的に評価されたり…と自分の身の程を知らさせる場面や他人との競争に打ち勝たなければいけない場面も出てくる。

そういう場面は多くの人に取って、決して楽しいものでもないし楽なものでもない。もちろん、失敗や挫折をすることもありうる。

しかし、努力(と運)の結果として求めていた成果を得られれば、それが根拠のある自信となる。

 

…さて、この時点でお気づきだと思うが、ある肩書きを手に入れるためには、淡々と、粘り強く、そして時には泥臭く努力し、客観的な評価を受けそれを糧にさらに研鑽を重ねる…という、当たり前と言えば当たり前のことをするのが重要である。

そして、この当たり前のことをちゃんと実行できる能力を獲得することこそ、後述するように根拠のある自信を獲得することの大きなメリットである。

 

根拠のある自信を手に入れる過程で得た習慣が自分をたくましく強くする

上からの続きになるが、根拠のある自信はそれそのものではなく、根拠のある自信を手に入れる過程で得た習慣、考え方、自己コントロール術などが重要である。

試験でいい結果を出すために誘惑を断ち切り勉強する。仕事の成果を出すために自分に負荷をかけ働いたり知識を習得する。

本当に当たり前といえば当たり前のことなのだが、その当たり前をちゃんとこなすために自分を律する能力が身につくことが、根拠のある自信を獲得する過程で得られる重要な副産物である。いや、人によっては肩書きにはさほど興味がなく、むしろこの副産物を得られる方が大事だと思う人もいるかもしれない。

しかし、この副産物は「ありのままの自分はすごい、だから自分に自信をもっていい」と、なんの脈絡もなく自分を肯定し根拠のない自信を身に着けようとする過程では得られないものである。

そういう意味では、根拠のない自信は簡単に手に入りやすいが脆くて弱い。根拠のある自信は簡単に手に入りにくいが、その過程で得た当たり前のことを当たり前にやる能力は、たとえ根拠となる肩書きの効能が薄れてもなかなか無くならないので強いと表現できるかもしれない。

 

余談だが、よく、「努力している人=肩書きや名誉に執着していて欲まみれな人」と語られることもあるが、努力している当人はさほど肩書きや名誉に興味が無い。むしろ、自分で自分を律することができる能力を獲得できることの喜び欲しさにストイックに溌剌と努力している…そういう人の姿を過去に見てきたことが学生時代にあった。

喜びや幸せと聞くと、つい自分を楽にさせること、ゆるく生きていけることを想像するかもしれないが、ストイックで忙しい方が幸福になれる人もいることを知ると、ますます幸せというのは

 

最後に「根拠のない自信」が流行ったのはうだつの上がらない人に受けがいいからという仮説

最後にひねくれ者の私なりの持論になるが、根拠のない自信の方が支持されているのは、純粋にうだつの上がらない人ウケするからだと思うことがある。

とくに自己啓発書を読むような人、あるいは自己啓発に興味がある人は、今までの人生の中でちゃんと努力してきたこともなければ、日々真剣に生きている人は少ない。

意識高い系が口だけの勘違いと思い込みが強い人、場合によってはスッカスカのお馬鹿そのものであるという負のイメージが一般化していることから見てもわかるように、自己啓発に興味があるような人の中で、「まっとうに地に足つけて努力せよ」という当たり前のことを説いても、真新しさも面白さもないのでウケない。

 

しかし、「根拠のない自信を身につければ人生うまくいく!むしろ、肩書きのような根拠を拠り所にしている人は変化の激しいこれからの時代には通用しなくなる!」という、ストーリーだとどうだろうか?

まぁ、まっとうに努力してきた人かひねくれ者なら「そんな虫のいい話があるものか」とか「根拠のある自信を獲得できるぐらいの能力のある人が、変化に対応できないままというのはちょっと想像しにくいな」と思うかもしれない。

しかし、うだつの上がらない人にとっては、この手の一発逆転できるかのような夢のあるストーリーは非常に魅力的に映る。これからの時代は、既に名を挙げている人よりも、うだつの上がらない自分の方が主役。まさにその気分は下克上を突きつけてハイになっている戦国武将そのものと言ってもいいだろう。

その結果、根拠のない自信は流行し、支持を集めたのではないかと私は分析している。なお、その根拠は私の主観、想像、妄想、憶測、偏見…である。