追い込まれても努力できない人の特徴について語る

自己啓発・意識高い系
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仕事や勉強において追い込まれないと努力ができないタイプの人は、普段あまり良い評価を受けにくいと思う。が、私から言わせてもらえば、追い込まれれば一応でもやる事をやってくれる人は、そうでない人と比べたら勇気を持って欲しいと感じている(…断じて嫌味や皮肉ではない)

そう感じるのは私の今までの人生において、追い込まれても努力ができないし、そのまま何もかも投げ出してしまうタイプの人を、度々見てきたからである。

今回は、そんな追い込まれても努力ができない人の特徴について、個人的な見解を述べていこうと思う。

 

追い込まれても努力ができない人の特徴

追い込まれるほどに先送り癖や目標の下方修正を繰り返す

追い込まれても頑張れない人に多いのが、追い込まれた状況になると先送り癖や目標の下方修正何度も繰り返してしまうことがある。

期日や締切を伸ばしてもらうように願い出る、(受験の場合なら)目標としている学校のレベルを下げる…などのような行動に出て、とにかく精神的な余裕の確保をしようする

ちなみに、ある程度余裕が出来たからといって、本腰を入れて努力するような真似はしない。

締切が伸びれば伸びるほどに、目標を下方修正すればするほどに、緊張の糸がユルユルになって怠けてただ時間を消費してしまう。

そうこうしているうちに先延ばしした締切が迫ってきたり、下方修正した目標の達成すら危うい状況になってきたら、また同じような事を繰り返しては束の間の余裕を消費する…という一連の行動を繰り返す。

本当にもうこれ以上先送りも、下方修正もできないレベルになったら、何もかも考えるのやめたり投げやりになってしまう。あるいは、次で紹介するような非現実的な努力をする計画をして、状況をあっという間に変えようとしたがる。

 

 

最悪の状況になればなるほど、非現実的な努力量により解決しようとする

追い込まれても努力できない人は、最悪の状況に立たされたときに、その状況を一気に打破しようして非現実的な打開策を打ち出す傾向がある。

(こういう言い方は頭が悪そうに見えるのでめちゃくちゃ嫌いだが)「鬼努力する」というような、考え方をするのがいい例である。

ちなみに、非現実的であるがゆえに、残されたわずかな時間と労力をどのように配分するか、優先して努力すべきことは何か…というような、具体的な部分にまで考えが至っていないことが多い。(そもそも具体的に考えられるだけの能力があれば、なるべく自分を追い込むような状況を作らないよう計画を練るなり、スケジュールを調整するものである。)

ただなんとなく「追い込まれたからめちゃくちゃ頑張る」という程度の、非常に考えが浅くて漠然としている。取捨選択も何もできていない状態。全体的に考えが浅く甘いせいで、自分にストレスがかかってしまうと勝手に自滅してしまうのだろうと分析している。

 

 

自己嫌悪はするけど反省や改善をしている様子はない

もちろん、当人も自分の努力できない性分や逃避癖について悩んでいるフシは見られ、決して開き直っているというわけではない。他の人同様、自己嫌悪して傷つくことはあるのだ。

しかし他の人と違うのは、自己嫌悪をしないようにどのような部分を反省すべきか、改善すべきか…という、建設的な考えができていないという点である。

「次は失敗して自己嫌悪しないようによう」と考えて行動しない。ただ「自分で自分が嫌になる…」という段階でストップしているので、改善が見られないのだ。

 

どうして改善が見られないかについては、私の推測ではあるが

  • 「周囲の環境や状況に責任がある」「ただタイミングが悪かっただけ」というような自責で考えず他責で考える癖がある。
  • 「自分は何をやってもダメ」という、悟りという名の諦めの境地にいる可能性。

が、挙げられる。

悟り思考の場合、「努力して自分を成長させていく苦労を味わうぐらいなら、いっそ成長なんてせずダメな自分のままでいたほうが気楽」という考えに近いものすらも感じられる。

自分の頑張りによって自分自身が成長していく希望的な未来よりも、成長なんてせず失敗続きの絶望の未来の方が、どこか安心感を覚えるものなのだろうかと私は見ている。

 

まぁ、下手にまだ見ぬ自分の可能性を追求するよりも、最初からそんなもの追求せず、今の自分で満足してしまうことは、見方を変えれば自分のメンタルを摩耗させないためには有効かもしれない。

しかし、仕事のように集団で動くことが求められる場合は、周囲との軋轢を生む要因になりうるのはいうまでもない。プライベートでも、自分の人生に当事者意識がないため、あらゆることに積極的になれず、充実した生活を送れなくなるのも自然である。