努力ができない人のクズな思考、末路について語る

逃げ癖・負け癖
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ナンバーワンにならなくてもいいだとか、ありのままの自分でいいだとか、今の世の中は何かと努力しなくても楽に生きていけますよという(無責任だが)希望にあふれたメッセージが溢れていて、且つそういったメッセージが心に響きやすい人が多いと思う。

 

もちろん、頑張りすぎて心身や人間関係を壊すようなことを推奨する世の中は行き過ぎだ。しかし、「過度な努力をしなくてもいいよ」だとか、「楽に生きていければいいんだよ」などの言葉を鵜呑みにして、努力を放棄する人になってしまい、自分で自分の人生を棒に振るようなことが起きるのは、あまりよろしくないだろう。

今回はそんな努力ができない人に見てきて発見した、クズな思考、その末路を語ろうと

 

努力ができない人のクズな思考、末路

努力できない自分を正当化しだす

努力ができない人は、努力できない自分をコンプレックスに感じることが多い。勉強、運動、仕事や恋愛など、あらゆる分野に置いて努力できないこと、すなわち負け組・底辺であると捉える。

もちろん、負け組から脱出するために自分を奮い立たせればいいのだが、中には奮い立たせるだけの気力や精神的な余裕すら失せてしまい、諦め心が折れてしまう人も少なくない。

しかし、いつまでも心が折れて落ち込み状態に苦しむのは避けたい…が、と言って負け組脱出のために自分に喝を入れる余裕もない。何をやってもダメだと学習(=学習性無力感)してしまうと、次第に努力できない自分をそこまで卑下するものではないと自己正当化しだす。

つまり、冒頭で触れたような競争の無意味さやありのままの大切さを訴えるメッセージを鵜呑みにして「努力できない自分は悪くない」と自己正当化するのだ。

これにより、努力できない悩みからくる苦しみは軽減される…が、努力しないことそのものがデフォルトになる。あるいは努力しても無意味だという認識が染み付いた状態になりい、社会で生きていく上で周囲との摩擦を引き起こすのだ。

 

見せかけの努力しているフリだけが上手くなってしまう

いくら努力をしないからといって、社会で生きていく以上はどこかで努力しなければならない。

ここでは社会人を例にするが、社会で生きていくためには稼がなければならない。つまり、どこかで雇われるなり、独立して自分で稼ぐなりして、日々生活するために金を稼ぐことが重要になる。

しかし冷静に考えて、努力しないことがデフォルトになっている人を雇おうとする企業は、はたしてどれだけ存在するのだろうか?

よっぽどの太い家柄の御子息、御令嬢などの目に見える利点がない限りは、努力しない怠け者を雇うような真似はしないものだ。

となると、努力できない人は採用されるためにもとにかく「自分は努力できる人間ですよ」というフリを身につけることになる。そうでもしないと職にあぶれ貧困と飢えに苦しむので、そこだけは怠け者なりに努力するのだ。

しかし、何度も言うように本当に努力することではなく、努力できる人間だと自分を過剰に演出し、優良誤認させる小手先のテクニック(つまりハッタリ)でしかない。そのため、仮に万が一にでも採用される事があっても、次第に化けの皮がはがれて職場に居づらさを覚えてしまうのだ。(自業自得なのだが)

 

なお、これはサラリーマンではなくフリーランス(自営業)で生きていく上でも、同じである。

フリーである以上、自分で仕事をとってきて稼がなければいけない。とはいえ、自分で自分を「怠け者ですよ」と主張するフリーランスに仕事を頼むような間抜け者はまずいないので、少なくとも自分は努力出来る人間ですよ」とアピールするフリだけは身につく。

しかし、ここでも努力できるフリだけでしかなく、実際に仕事をしても納期が遅れるだとか、リテイクを嫌がるだとか、場合によっては音信不通になるだとかして、化けの皮が剥がれるのだ。

 

まっとうに努力する人を見下す態度を取る

まっとうに努力する人の中で揉まれたことにより、努力できない人は自分へのコンプレックスで強まったストレスを、自分以外の他人や世間・社会に向けるようになる。

つまり、まっとうに努力している人を「社畜」「雇われは不自由・非効率」「会社員の仕事の大半はAIに仕事を奪われる」など、どこかの世間知らずなブロガー、ビジネス系youtuberが言ってそうな言葉を借りて貶める。つまり、今まで自分の存在を否定してきた人・集団を悪く言うようになるのだ。

「まっとうに努力している人のせいで自分は惨めな思いをしてきた、だからそんな人に復讐じみた言動を取るのは、惨めな思いをしてきた被害者たる自分に認められた特権だ」と言わんばかりに、まっとうに努力する人を悪く言ったり、逆に自分と同じように自分を甘やかし堕落させる方便を口にして唆すようになるのだ。

 

努力しなくてもいいというネット上の情報ばかりを探して、自己正当化に余年がなくなる

もちろん、全員が全員言いがかり同然なとんちんかんな復讐に走るわけではない。

その代わりによくあるのが、ひたすら努力できない自分を肯定するポエムじみた(生)やさしい文章(場合によっては単語レベルで)を求めて、ネットの海にどっぷり浸かってしまうことだ。

ブログ、SNS、youtubeなどの動画サイト、オンラインサロンや有料のネット上のお悩み相談&占いサイトなどにどっぷりハマり、次第に社会で生きていくのが辛くなりネットの世界に精神的に引きこもってしまうのだ。

 

余談、努力できない人の口癖

なお、実際に努力できない人がよく口にするワードとして

  • 効率的に~、コスパ:「自分はやればテキパキできる人」だとか「無駄に努力せず最短で仕上げられる能力のある人」だと周囲に印象付けるのに便利な言葉。似たような言葉で「合理的に~」もあるが、いずれにせよ努力できない自分を正当化する方便として用いられる。
  • 長期的に~:「今は努力できないだけで、そのうち努力するよ」というニュアンスで使う言葉。努力できないのではなく、先のことを考えてペース配分していると周囲に錯覚させる便利な言葉だが、努力しない、できない怠け者であることには変わりはない。

というものがある。

いわゆる意識高い系な人が好んで使う、自分を出来のいいビジネスマンだとアピールするときに使う言葉でもある。

上でも触れたように努力できないことにコンプレックスを持っている人は、それを払拭すべく自分で自分を自己正当化し「自分は恥ずかしい人でも惨めな人でも、クズな人間でもない」と思い込む。

しかし、その思い込みこそがよりいっそう他人から「クズだなぁ、この人」と印象づけてしまうのが皮肉である。