HSP、繊細な人が繊細ヤクザ化するメカニズムについて語る

HSP
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私個人の感覚だが、いわゆる生まれつき繊細なHSPと呼ばれる人の中には、その持ち前の繊細さの影響で周囲に対して妙に攻撃的な態度を取る人が多い傾向がある。

いわゆる、ネットスラングの「繊細ヤクザ」あるいは「繊細チンピラ」になってしまい、リアル・ネット関係なく人間関係をかき乱す。そして当の本人は被害者のポジションに居座り続けて、自分を省みなくなる…という、一連の流れが存在している。

今回は、この繊細で優しいはずの人が、なぜここまで乱暴で凶暴で一触即発ニトログリセリンみたいな扱いが難しい人になってしまうのかについて、個人的な見解や考察を述べてみる。

 

繊細すぎるせいでストレス・傷つきへの耐性が低い

繊細すぎる人は、普段の生活の中で些細なこと簡単に傷つく。つまり、メンタル面が非常に弱い、打たれ弱いタイプの人であると言っていい。

もちろん、ここで自分の精神的な弱さを克服できればいいのだが、中には「ありのままでいいんだよ」的な弱い自分を肯定する優しい(けど根本的な解決になるかは謎な)言葉に影響され、豆腐メンタルのまま過ごしてしまう。

もちろん、メンタル面の弱さが気質である以上は克服するのは難しいので「気質だから仕方ないよね」と諦めるのも賢明であろう。そしてなるべき傷つかないような思考法なり生活を送ることもある。

しかし、このように傷つきやすさが温存されている&普段から傷つきに揉まれない環境で過ごしていると、次第にストレスや傷つきへの耐性が低くなってしまう。

無菌室で過ごした結果、免疫が弱まってしまい軽度の感染症すらも重症化してしまう人のように、繊細で傷つきたくないからこそ傷つきを避けた環境で過ごした結果、ストレス耐性が極度に下がってしまう

そして、普通に生活をしている人であれば無視できるようなストレスですらも、まるで人生を揺るがす大きな衝撃であるかのように捉えて動揺してしまう。

それも、自分を繊細でか弱いと認識しているからこそ、そのか弱い自分を攻撃してくる悪、脅威、敵といった害を加えるものとして、生活の中の些細なストレスを捉えてしまうのだ。

 

被害者意識が強いせいで、自分の暴力的な態度を正当化してしまう

誤解を恐れずに言えば、繊細すぎる人は些細な事でも自分への悪意や敵意、差別や偏見などの思惑があるという被害妄想が強い。

そして、「自分は他人・集団・社会・世間などから攻撃をされている」という認識こそ、非常に困った脅しや強引な配慮を堂々と求める原因になるのだ。

「相手からストレスを与えられた」という認識をする過程で、繊細な人は

  • 「相手=加害者」
  • 「自分=被害者」

と認識する。

そして、相手を加害者だと認識しているからこそ、謝罪や過剰な配慮を求めることは、被害者たる自分に許された正式な権利だと捉えているのだ。

普段の生活の中でも、法に背けば罰金や刑罰が課せられるし、罪の内容によるが被害者には損害賠償を請求する権利が認められる。こうしたごく当たり前の倫理観が根底となって、被害者意識が強い人は自分が加害者と認識した人に対して、謝罪や配慮を求めるのだ。

 

もちろん、まっとうな(というとなんか妙だが)ハラスメント行為などに対して被害を訴えること自体は問題ない。

ここで問題になるのは、多くの人が「この程度で謝罪や配慮を求めるのはさすがに大げさすぎる」という些細なことにいちゃもんをつけてしまうことだ。

つまり、繊細ヤクザになってしまった人は「私は傷ついた!被害を受けた!」と言いがかりをつけて、脅迫しているだけの人そのものでしかないのだ。

しかも、自分を被害者と認識しているため行き過ぎた配慮を要求しているという認識がなく、手に負えない状態になっているのだ。

 

繊細ヤクザにはまっとうな指摘も全て誹謗中傷になる

最後に、繊細すぎる人はただ自分が妄想を膨らませた結果、周囲といざこざが起きている状況に対して「それは思い込みすぎだよ」とか「それは言いがかりがすぎるよ」という、冷静な指摘すらも、自分を傷つける言葉だとか、誹謗中傷と認識してしまう傾向がある。

メンタル面の弱さが影響し、自分にも落ち度があり、反省すべき点があるという事実を受け入れるだけの余力すらない。繊細すぎる人にとっては、反省することもまた大きなストレスであると捉えてしまうからだ。

そんな、ストレスに苦しむような状況に自らを置くような真似はしようとしない。仮に事実を受け入れて反省するとなれば、強く落ち込んでしばらく立ち直れなくなるリスクもある。

そういったリスクを回避すべく、とにかく理屈を並べ立てたり、苦しい言い訳をしたり、「これだから非HSPは」「鈍感な人は共感力がなくて今の時代はダメ」など人格批判や論点ずらしなどをしては、反省から逃げる。

あろうことか極めてまっとうな反省を促す言葉や態度を燃料にして、ますますヒートアップしてしまうのだ。

 

繊細ヤクザを諌める人がいなくなり、更に過剰な配慮を要求するようになる

自分を省みることもなく、自分を諌める人に牙をむく。こんな行動を取ろうものなら、大抵の人は波風立てずにそっと関係を絶つものである。

下手に喧嘩や口論をして粘着されるのも疲れるし、変な噂を流されて自分の印象が悪化する…なんてことが起きないように、繊細ヤクザの人に関わらないようにするのが、賢い生き方である。

こうして、繊細ヤクザな人の周りには次第にまっとうに叱ってくれる人がいなくなる。その代わりに、同じく繊細すぎて悩んでいるという共通点を持つ人と同士と交友を持つようになる。

この関係は同じ悩みを持つことで意気投合し安心感を得られる関係である。しかし、意地悪な言い方をすれば、繊細すぎて生きづらい人同士の偏った主張や思想がますます強くなり、より社会の中でうまく馴染めなくなる…という、危険性がある関係とも言える。

そんな関係にどっぷり浸かれば、まさにカタギの人間とは違う独自の思考や行動様式に染まった人間…つまり繊細ヤクザになってしまうのだ。