繊細で生きづらさを感じる原因は思考の癖にある説について語る

HSP
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繊細すぎる気質であるという意味の「HSP」という言葉が流行ってからというもの、繊細すぎて生きづらさを感じずにはいられない人、繊細すぎるがゆえに職場、学校からSNSや趣味の交友関係まであらゆる社会生活に生きづらさを感じてしまう人が増えているように感じる。

しかし、繊細すぎて生きづらさを感じる人をよくよく見ていると、生きづらさの原因は自分を取り巻く人間や環境にあるのではなく、むしろ自分自身の考え方に原因がある。

つまり、繊細過ぎるがゆえに自分で自分を追い込むような生き方をして自分を苦しめている。そのせいで生きづらさを増幅させ、周囲の人間と不要な衝突を起こす、無理解に苦しむ、果てには悲劇のヒロインぶって繊細すぎて扱いに困る人と見られているのではないか…と感じてしまう。その理由について今回は語ろうと思う。

 

繊細すぎて生きづらさを感じる人の思考パターン

繊細すぎることに生きづらさを感じる

繊細すぎる人が生きづらさを感じるものは実に様々である。

  • 人間関係のストレス
  • 仕事や勉強の疲労
  • 他人の感情(とくに怒り、悲しみなどネガティブなもの)
  • 満員電車など不快指数の高いもの
  • 暑さ、寒さなど気候によるもの

といった、割と誰でもストレスを感じるものから、

  • 気圧
  • ジェンダー、偏見など社会問題
  • 道徳観、倫理観、思想信条
  • 常識や固定観念

など、気にかけない人はとくに気にかけないが、気になる人には無視したくてもできないものにまで、敏感に反応してしまう。

とくに思想信条など、普段の会話で出すことにタブー意識のあるものに対しては「私はこの思想信条には強い不満があります」と表明しづらい。その結果、自分の考えや感情は理解されていないと感じて、生きづらさを覚えてしまうのだ。

 

繊細すぎてあらゆるものに不快感を覚える

上でも触れたが、繊細すぎるがゆえに、鈍感な人や普通の感覚を持っている人であれば気にしないものまで、つい意識してしまう。

それも、好意的な意識ではなく、不快、不満、反感といった気持ちよくないものを感じてしまうのが、困りものである。

人によっては「みんながなんとも思っていないものにイライラを感じる自分の方がおかしいのでは?社会不適合者なのでは?」という、自己否定感に苦しめられるのがこの段階である。

 

不快感を表明するものの周囲から共感を得られない

勇気を振り絞って自分が感じている不快感をリアルやネットの世界で表明したものの、その不快感に共感を示してくれる人が出てこないことで、不安や孤独を感じてしまう。

場合によっては

  • 「気にしすぎなだけだ」
  • 「自意識過剰な人だ」
  • 「繊細すぎてめんどくさい人」

という自分の人格や繊細さ、内面を否定する反応が返ってくることで、周囲との溝が開いてしまい、生きづらさを強く感じてしまうのが、この段階である。

 

不安と孤独により思考が不安定、先鋭化する

繊細ではない人であっても孤独や不安が生きづらさに直結することは想像に難くない。ましてや、何事にも繊細な人であれば、感じる生きづらさは並の人とは比べ物にならないぐらい強いだろう。

強いストレスを感じているせいで、さらに繊細さに拍車がかかり、今までなら気にならなかった事でも、繊細すぎて不快感を感じてしまう。

また、強い不安を感じているからこそ、精神的にも不安定になる。言い方を変えれば、いわゆる「メンヘラ」な状態になってしまうことで、普通の人とのつながりも希薄になってしまう。それにより、孤独を強めてしまうのだ。

加えて、あらゆる人との交流が自然消滅してしまうことで、思考の柔軟性が弱くなる。つまり、思考が先鋭化してしまうのも、繊細すぎる人に見られる傾向である。

先鋭化しているため、他人と何気ない会話をすることすら難しい。いきなり刺のある話し方をして初対面の人に引かれてしまったり「うわっ、この人繊細すぎてめんどくさいぞ」と思われて距離を置かれてしまうのもこの段階である。

 

被害者意識が強くなり、ますます生きづらさを感じる

行き着くところまで繊細さを強めてしまった結果

  • 「私はこんなに繊細すぎて傷ついているのに周囲の人は理解してくれない!」
  • 「私はどれだけ他人に気を配っているのかあなたたちはわからないでしょうね!」
  • 「私は豆腐メンタル(=打たれ弱い)なのだから、もっと優しく扱って!」

というように、被害者意識を強めてしまう。

まるで、悲劇の主人公であるかのように振舞っているものの、関わる人からすれば

  • 「そんな事言われても困る」
  • 「繊細である事を盾にわがままを押し通している」

という類の反応をされて、お互いに理解が進まない。その状況がさらに生きづらさを増す要因になるのだ。

 

生きづらさを自業自得と思えれば楽になれるという可能性

この状況は見方を変えれば自分の考え方のパターンが招いた結果…つまり自業自得であり、自分の思考を変えればうまく折り合える可能性があるとも言える。

自身の生きづらさを訴えている人が、周囲に理解を求める姿勢から、自分の方が周囲に歩み寄る姿勢を身に付けることが、繊細すぎて生きづらさを感じる人には大事なのではないだろうか。

…という〆で、今回はお開きにさせて頂く。