HSP(繊細さん)がブームになった原因・理由の考察

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まずはじめに、当記事はHSP(繊細さん)について懐疑的な視点で書かれているものである。

当ブログ内の他のHSP関連記事もそうだが、基本的に私はHSPの概念、およびそれを広める人・集団に対して、あまり良い印象をもってはいない。むしろ「胡散臭いなぁ」とか「金儲けの色が強いなぁ」という印象を持っている。

そのため、繊細な人の心にとっては優しくはない(が新たな発見はあるはずの)内容の記事になっている。

 

今回は私がかつて仕事でしていたマーケティングの知識を用いて、HSP(繊細さん)がブームになった原因・理由についての個人的な(想像・憶測を含む)見解を述べていく。

 

「繊細さん」の言葉から受けるイメージの良さが自称する人を増やした

「繊細さん」という単語そのものは比較的良い印象を持っている。

上品、優しい、落ち着きがある、というようなわかりやすい良い印象。そのほかにも「繊細であるがゆえに人知れず悩みを抱える」…というような、悲劇の主人公の匂わせるような物語性、神秘性をも感じさせる言葉である。

そういった、正の印象を持っていることが、HSPという概念を名乗るハードルを低くしているのだと私は見ている。

ここで参考として、もしも繊細さんではなく「鈍感さん」だったら…と考えてみれば、いかに「繊細さん」という言葉の持つ印象が良いものであるかが、よく理解できると思う。

「鈍感さん」だと、空気が読めない、人間関係の機微がわからない、朴念仁、野暮、無粋、あらゆる感覚が鈍い…というように、およそ自ら進んで名乗りたいような印象を持つものではない。

もちろん、「鈍感=多少のことには動じない強さがある、自分の軸を持っている」という見方もできるが、それでも「鈍感」という言葉のもつ負の印象は大きく、進んで名乗るようなものではないだろう。

 

セルフブランディングをする上でたいへん好都合

HSPブームを語るにおいてインターネットの存在は無視できない。特に、SNSやyoutubeにおいて自らをHSPをと名乗りつつ、情報発信に勤しむ人は検索すればすぐに見つかる。

前述のように、「繊細さん」は(私のようにひどく根性が捻じ曲がりひねくれた人以外であれば)正の印象が強いために、情報発信をする上で自分への好感度を上げるの役立つ。

つまり、セルフブランディングやキャラ付けとして非常に有効な概念なのだ。もっと言えばHSPであることを一つの宣伝材料にすれば、マネタイズにも容易につなげられる概念でもある。

 

なお、セルフブランディングの観点においては以下のような利点もある。

  • 5人に1人の割合でいるとのことなので、気軽に名乗っても別に怪しまれるものではない。HSPではないが、血液型のB型も約5人に1人の割合で存在。ほかにも人口に占める70歳以上の数も、およそ5人に1人(2018年の総務省の統計より)。そう考えれば、数字的にはかなり身近な存在である。
  • 「優しい」という印象があるために、「そんな優しい人に疑いの眼差しを向けるのなんてできない」という心理になりやすい。つまり、情報発信を行う側からすれば、自分に疑いの目を向けず、むしろ「優しい」だけを根拠に疑わず信じてくれる盲目的なファンを集めやすい。(誘拐犯だって、ターゲットをさらうためならいくらでも優しくなるでしょうに)
  • 普段外交的で陽キャラなに見える人でも「実は自分、繊細で…」と、ギャップによる印象向上が期待できる概念である。派手な芸風で知られる芸能人やyoutuberなどが名乗れば、新規のファン獲得&既存ファンをより虜にさせる効果が見込める。
  • 「繊細で感受性が強いために、普通の人にはなかなか理解されない秘めたる才能を持っている人間である」というような、何者かであるかのような雰囲気を漂わせて人気を得たい人にも使える概念である。(どことなく中二病臭がするが)

 

健常者~障害者の間にいる人にとって利用しやすい概念

HSPの特徴の中には、感覚過敏、対人関係で苦労することが多い、ストレスに弱い、精神的に不安定である…というような、発達障害や精神疾患の人にも見られるものが多い。

そのため、健常者とは言い難いが、かと言って「障害」「精神疾患」とまではいかない、あるいはそれらの診断名・病名を言い渡されることに対して心理的な抵抗を持つ層が、一種の希望や救いを見出す概念としてHSPが機能し、広まっていったのではないかと分析している。

もちろん、中には医療機関で診断を受ければHSP以外の何かしらの診断名を下される人も混ざっていることだろう。

 

また、そこまで深刻ではない人…たとえば「メンタル病んだ」とか「ぴえん」とかで済ませそうな人でも、カジュアル且つファッション感覚で名乗れるお手軽な概念である。

それもそのはず、あくまでも医学ではなく心理学上の概念で、ネット上で数分もすれば簡単に自己診断できてしまうからだ。

かつてはうつ病、発達障害(アスペルガー、ADHD)、アダルトチルドレン、ギフテッド…などを名乗ることがブームになったのと同じように、HSPを名乗る人がここ最近増えているのだろうと見ている。

 

(ちなみに、私は医療関係者でもなんでもない一般人である。あくまでも個人で調べた範囲で「HSPは発達障害や精神疾患と共通点があるなぁ」と感じたという話である。)

 

 

HSPは数字が取れるコンテンツ

最後に、根性がねじ曲がっている私なりの結論となるが、HSPは数字が取れるコンテンツであると断言できる。

書籍も、テレビも、ネットも、インフルエンサーも、とりあえず今はHSPがバブル状態。それも、正の印象を持っているので自ら名乗っても、話題として好意的に取り扱っても損をする確率は低い。

だから名乗る、そして広まる、そしてまた名乗る人が増える。もちろん、そこに疑いや否定のニュアンスは挟みにくい。もしそんな真似をしようものなら「あなたは優しい人を疑い目の目で見るのか!」とヒステリックなコメントが来る恐れがある。

だからこそ、胡散臭いと思っても多くの人は沈黙するか無視をして、HSPを名乗る人は雄弁にHSPを語り広める…という具合でブームになっているのだろう。これはまさに、自浄作用無き加熱しすぎたブームと表現できるかもしれない。

 

最近話題の自己肯定感のように、生き辛さやコンプレックスは金になる。それも、企業のような組織レベルでなくても、ネットを使えば個人レベルでマネタイズが可能と認識している人は(私も含めて)少なくないと見ている。

まぁ、占いやおまじない程度の娯楽の一種なら笑って済ませられるだろうが、厄介なのが自己肯定感もHSPも、一種の医療や学問的側面がある。

単なるブームと思っていたら、いつしか医療や学問を嘲笑・侮辱し、それらの信用を失墜させうる危うさを持っているのが、このブームの問題だと私は考えている