一見すると真面目。しかし、実態は真面目の仮面をかぶったクズという二面性を持つ人のことを、ネットスラングで「真面目系クズ」と呼ばれている。
クズなのに真面目であれば、不良学生が捨てられた動物に優しくしている姿にキュンとする…というギャップによる好印象を獲得できるが、真面目系クズはその逆。
つまり、最初は好印象だが次第にボロが出て悪印象が定着してしまう。「真面目なのはよく見られたいからしているだけの演技なのか」だとか「初対面ではクズな人だとは思ってなかったのに裏切られた!」という反応をされることも多い、なんとも損をする性格の持ち主である。当然、生きづらさを抱えてしまう人ともいえよう。
今回は、そんな真面目系クズの生きづらさについて語ろうと思う。
真面目系クズの生きづらさ
初対面の印象の良さが後々マイナスになる
冒頭でも述べているが、初対面はいたって真面目である。
喧嘩をしそうな人ではないし、温和で人畜無害、荒事を好まない、とても接しやすい人…という好印象を得られる、気軽に打ち解けやすい印象の持ち主といえよう。
しかし、この打ち解け易い印象こそが、真面目系クズのクズさを引き立てる厄介な部分でもある。
根はクズでだらしがない、およそ真面目とは程遠い内面であるために、打ち解けて次第に内面が見えてくる場面になればなるほど、自分の醜い内面を晒さないことばかりにエネルギーを注いでしまうのが、真面目系クズな人の生きづらさである。
付き合う方からすれば、打ち解けやすい人だと思って接しているのに、どうも内面を見せてくれない態度が目立つ。「ひょっとして、壁を作りたがる人なのか?」「何か知られたくない内面があるのか?」という不信感を、関係を持つに連れて相手に抱かせてしまうことに罪悪感や焦りといった不快な感情を覚えてしまう。
しかし、ここで「実は自分はクズな一面がありまして…」と、正直に打ち明けられずに、関係がシャットダウンor自然消滅するように仕向けてしまうのが真面目系クズの特徴である。
どうしてこんな後味の悪い方法に頼るのかとうと、それは真面目系クズの真面目は、ただの臆病や内気、弱気、保守的でしかないからである。
真面目ではなくただの臆病、内気、弱気、保身でしかない
真面目系クズの人が見せる真面目は、
- 自分に自信がない(臆病)
- 自信がないからこそ積極的になれないし、自分の内面をさらけ出せない(内気&弱気)
- 内面をさらけ出して失望されるぐらいなら、見せかけの真面目で評価を維持したい(保身)
といった、真面目という言葉が持つ、誠実さや清らかさ、真摯さとは真逆の要素が主である。
「周囲の人に迷惑をかけたくないから」という道徳的にごくありふれた考えも、真面目系クズの場合は「周囲に迷惑をかけてしまう人だとバレたくないから、真面目な自分を演じている」という、周囲の人を気遣うものではなく、自己保身に走った考えになってしまう。そのどこに、誠実さを感じることができようか。
厳しい言い方になるが、真面目系クズの人が周囲から失望される理由はここにある。
真面目で誠実な人に見えて、実は自己中心的で自分のことしか考えられていないし、何をするにしても自分中心の視点から脱却できていない。
もちろん、真面目系クズの人だって自分のことで一杯一杯であることは承知していることもあるが、一杯一杯だからこそ、なかなか他人の視点に立てず、もどかしい思いをしているのだ。
周囲から見捨てられる不安に悩まされる
真面目系クズの人からすれば、今までの人生の中で関わってきた人から何かにつけて失望されていた経験が多い。
その辛い経験のせいで、進学や就職で新たな人間関係を構築する状況になっても「新しい環境でも、いつか自分に失望して関係が途絶えてしまうのでは?」という、不安が付きまとう。
そうした予期不安を抱えながら暮らしているせいで、打ち解けやすさから近づいてきた人も「なんだかこの人、私と仲良くなることを避けているのでは?」と、相手も不要な不安を抱かせてしまう。
お互いに不安を抱き続ける関係を続けることは難しく、結果として失望されて人間関係が途絶えるオチではないが、自然消滅する。
家族や親戚を除いて、長く続く人間関係を構築できないことに、真面目系クズの人は生きづらさを感じるのだ。
指示待ち姿勢が基本スタイル。リーダーシップは無い
今までとは異なる生きづらさとして、真面目系クズの人は自信のなさ故に自分で積極的に動くことは苦手である。しかし、誰かに指揮や命令によって動こくことは得意という特徴がある。
これは、真面目さが功を奏してると言える一方で、自分の裁量で動くことはできない指示待ち人間であるとも言える。
学生時代や新社会人であればそれなりに適応できるが、ある程度自分の裁量で仕事をするようになったり、部下や後輩を持つようになった場面で、責任の重さに耐え切れず役目を放棄、保留、後回しにしてしまうことが目立つ。
ここでもまた、「真面目だからこそ仕事を放棄するような人ではないのに…」という失望を招いてしまうのが、真面目系クズの生きづらさなのである。
学校での宿題の提出が遅れるのとは違い、仕事であれば経済的・社会的な損害が発生するため、周囲にかける被害が学生時代のそれと比べるとはるかに大きい。
働いても生きづらさを抱える。責任の重圧に耐え切れず、社会からドロップアウトとしても生きづらさを感じるというどっちに転んでも生きづらさから逃れられない状況が、真面目系クズな人の大きな悩みである…という考察を語って、今回はお開きにさせていただく。