「真面目に考えすぎて楽しめない」という悩みへの対処法

真面目
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真面目すぎる性格な人に多いのが、趣味や娯楽といった楽しむことを目的としているものでも、どこか自分との競争・戦いの雰囲気になってしまい楽しめなくなってしまう。

あるいは、楽しむことそのものに「自分なんかが楽しんでいいものなのか‥」と罪悪感や後ろめたさに近い感情を覚えてしまう。結果、楽しめなくなってしまう…という現象だ。

私自身も、本来なら楽しいはずのゲームでもいかに素早くこなせるかを競う「RTA(リアルタイムアタック)」や、制限付きのルールを自分に課して遊ぶ「縛りプレイ」など、エンジョイ勢から見れば苦行にしか見えないような遊び方をしてしまい、楽しむことよりも競ったり良い記録を出すために頭をひねってしまう癖がある。

今回はそんな真面目ゆえに考えすぎて楽しめなくなる悩みについて、私個人の見解を語ろうと思う。

 

 

無理に楽しもうとしないのが、真面目に考えすぎて楽しめなくなる悩みを解消する

私の持論だが、無理に楽しもうとしないことが真面目に考えすぎて楽しめなくなる状況を防げると考えている。

というのも、私自身苦行に近いゲームの遊び方は、正直何が楽しいかわからなくなることが多いし、たまに「自分は何をやっているんだろうか?」と虚無感に襲われることもなくはない。傍から見ればまさに苦行そのものだという意見も理解できる。

そんなこともあってか、下手に「楽しもう!」と明るく考えるのではなく、「まぁ、無理に楽しもうとしなくもいいか」と考えたほうが、肩肘張らずにゲームに打ち込めて結果として気楽に遊べるのだ。

 

楽しもうとしないからこそ、趣味や娯楽に対して失望しない

もちろん、やってる内容はゲーム内での最高記録を叩き出すことを狙ったストイックな遊びなのだが、下手に「楽しもう!」と考えていないためか、思いのほかいい記録も出やすく充実した時間を過ごせるのだ。

これが「楽しみながら記録を出そう!」となると、途中で記録が出ないであろうことが濃厚になってきた時に「うわ、もう無理だ」と感じて、途中で投げ出したくなってしまう。

しかし、「楽しまなくてもいいから記録を出そうか…」という状態なら、多少途中で調子が悪くなろうとも「楽しもう」と思ってない分、途中で投げ出すようなことはなくなる。良くも悪くもゲームや自分自身に対して期待をしていないので、失望や落胆をすることもなくなるのだろうと分析している。

 

楽しもうとしないからこそ見えてくる発見もある

また、楽しもうと意気込んでいないためか、ゲーム内でささいな変化(主にCPUの動き)に対して新たな発見があったり「この背景やグラフィックにはゲーム製作者がユーザーに伝えたい何らかの意図や思惑があるのでは?」という(やや考えすぎに近いが)発見や考察をすることもある。

私自身がクリエイティブ職の影響もあるかもしれないが、ゲームで遊んでいる時も同じクリエイターの目線に立ってゲームを見てしまう癖がある。いわゆる職業病の一種なのだろうし、プライベートを自ら仕事の一部にしてしまっていることも自覚している。

しかし、不思議なことにこの職業病で楽しめなくなること自体は、そこまで苦痛を感じていない。むしろ「楽しもう」と意気込んでいるときのほうが、変に肩肘張っているせいか苦痛を感じてしまうのだ。

そうした経験を重ねたせいか、下手に楽しもうとしないほうが自分の性にあっているという結論に至ったのだ。

 

楽しいもうと意気込まないことのほうが結果として充実した時間を過ごせることもある

傍から見ればまさに、真面目に考えすぎてゲームを楽しめていないと思われがな行為だと思われるし、実際に私も楽しいかと言われれば正直言って「よくわからない」というのが率直な感想である。

しかし、確実に言えるのは楽しさはよくわからないが、充実している時間を過ごせていると感じていることだ。

 

私が思うに、楽しい出来事というのは「さぁ、今から思いっきり楽しもう!」と意気込んで取り掛かったものではなく、「楽しいかどうかはさておき、とりあえずやってみようか」という平常心に近い状態で取り掛かった出来事の方に多いと感じられる。

思いっきり楽しもうと意気込んだものは、まるで行列がいつも出来てて、たいへん美味しいと評判ラーメン店に並ぶことに楽しみを見出して、いざラーメンを食べると「なんだ、こんなものか…がっかりだ」と失望にする状況に近いものがある。つまり、最初のうちに期待感が先走ってしまい、その後待っている楽しみのどれもがちっぽけなものに思えてしまうのだ。

一方で最初から楽しもうと意気込んでいないものは、そもそも期待していないことが影響して、ささいなことで面白みを感じたり、興味、関心を引くものがある。そして、その出来事が終了してから振りかえってみると「最初は期待していなかったけど、気が付けばほどよく心地よい疲労感と充実感があったなぁ」と感じることが多い。

まぁこれも、真面目に考え過ぎて純粋に楽しめていないと言えばそのとおりかもしれないが、真面目に考えた結果楽しめないにしても、充実している時間が過ごせたのであれば、それは別に悪いことではないと私は考えている。