「真面目で何が悪い!」と開き直る前に考えたいこと

真面目
この記事は約5分で読めます。

真面目に生きている人の中には「真面目に生きるのはコスパが悪い」だとか「もっとアホになったほうが楽に生きれるよ」とか「今は真面目よりも多少不真面目なやつのほうが可愛がってもらえるからね」とか言われて、自分を否定された経験を持つ人は多いと思う。

現に政治でも、仕事でも、勉強でも、スポーツや芸能の世界でもに真面目に生きている人よりも、中途半端で不完全な人の方が高く評価されている人が目立つし、その姿を見て、自分の生き様を否定されたように感じる人も多いはずだ。

そんな不平等な世の中を生きているからこそ「真面目で何が悪いんだ!」と開き直りたくなる衝動に駆られる人は、きっと多いことだろう。

しかし、開き直る前に、是非自分の真面目さについて(多少苦しさを味わうかもしれないが)向き合うことが大事だと思う。今回はこれについて、個人的な見解を述べさせていただこう。

 

「真面目で何が悪い!」と開き直る前にチェックしておくこと

真面目すぎて、しんどい、生きづらい、世の中に不満がある…と感じている人は、以下にまとめた項目について、自分の真面目さが当てはまっているかどうかをチェックして欲しい。

 

自分ルールを他人に押しつけていないか

自分自身が真面目であるために、自分にルールを課すと同時にそれを律儀に守ることは何ら問題ない。しかし、そのルールを他人に強要するようになった場合は要注意である。

自分が真面目であり続けたい思っていても、他人も自分と同じく真面目であり続けたい…と考えているとは限らない。

不真面目で怠惰な生き方に充実感を見出していたり、真面目過ぎずだらけすぎずなバランスのとれた生活を楽しんでいる人もいる。

真面目な人は、そうした自分とは違う考え方や生き方をしている人を目の当たりにすると、自分の生き様をそれとなく否定されたかのように感じる。それと同時に、自分のルールを押し付けて他人を正そうととする傾向がある。

求めてもいないのに余計なお節介をかけようものなら、他人から嫌われてしまうのも無理はない。他人には他人の生き方があり、幸福感やルールがある…という、ごく当たり前の考え方を身に付け尊重することが大事なのだ。

 

被害者ぶって謝れない人になってないか

真面目な人の中には、真面目に生きているのに評価が得られないことに対して、

  • 周囲は自分のことを分かろうとしていない!
  • 周囲は自分を見放した、見捨てたんだ!
  • 自分の真面目さを評価しない人たちに苦しめられているんだ!
  • 自分はこんなに真面目に頑張っているのに報われない!

と、被害者のポジションを取る&謝れなくなっている傾向がある。

 

厄介なのが、「自分は真面目な生き方をしているのに、運悪く社会における被害者になってしまったのだから、周囲が自分に気を使うのは当然だ。社会的な弱者だから多少強引な主張をしても認められるべき!」という他責思考が身についてしまっている。

これにより、人間関係で衝突を起こしてしまうのだが、本人は自分に責任があるとは思わず、「自分を理解しようとしない周囲の人間が悪い」と、反省する姿が見られないのが実に厄介だ。

昔から真面目で生きてきたものの、年齢を重ねて中高生や社会人になるにつれて、真面目なのに評価されない経験を重ねてきた人が、まるで闇落ちするかのようにこのタイプの他責思考の虜になってしまうので要注意である。

 

真面目なのに不遇な自分に酔ってないか

真面目なのに不遇に嘆いている人の中には、そんな悲劇の主人公である自分に酔っている。そして、本当は直す気もないのに「真面目なのにしんどい」と主張しているケースだ。

悲劇の主人公ぶれば、周囲から同情なり承認なりが集まってチヤホヤしてもらえる。本当は真面目だが要領が悪くどんくさいだけなのに、それを覆い隠して「かわいそうな自分像」を演出することで、満たされない気持ちを満たそうとしている。

そんな他人に依存したがるかまってちゃん気質な人が見せる真面目さは、見る人が見たら非常にめんどくさいし、関わっても時間と労力を奪われるだけでメリットを感じない。

だからこそ孤立を深めると同時に、より自分の不遇を嘆く…が、どこかその状況が安心出来るし、できればこのぬるま湯にずっと浸かっていたいという、底なし沼にはまってしまうので要注意だ。

 

自分以外の人は全員不真面目だと思い上がっていないか

長いこと真面目な人生を歩んできて、それなりに成功を収めてきた人に見られるのが、真面目な生き方をしていないひとをナチュラルに見下し思い上がっていることだ。純粋に失礼だし、同じく真面目に生きている人からすればいい迷惑だと思われても仕方がない。一言で言えば、真面目に生きてはいるが謙虚な姿勢がないと言える。

ただ、この人もまた生きづらさがあるように私は感じる。真面目なことを鼻にかけるのは、見方を変えれば真面目以外に自分には取り柄がないことがコンプレックスであったり、自分よりも真面目な人が出てくると、自分の存在価値がなくなってしまう不安におびえている。

だからこそ、真面目であることに強く執着せざるを得ず、真面目でない人に対して厳しく当たる。そうしないと自分が保てない…という生きづらさを感じてならない。

もちろん、その生きづらさは他人からは理解しづらいし、傍目には「真面目すぎて付き合いづらい人」とみなされ、ますます不満を募らせていくのだろう。

こうした人を見ていると、「真面目に生きていればきっといいことある」とか「真面目であれば必ず報われる」という言葉が、以下に信ぴょう性に欠ける言葉のように感じてならない。

 

…と、いうことを語って今回はお開きにさせて頂く。