「真面目そうな人」と言われる事にコンプレックスがあった話を語りたい

真面目
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自分でいうのも変だが、私は幼少の頃から「真面目そうな人(or子供)」と言われることが多かった。

誰かと喧嘩をすることは子供の頃も、大人になってからも無く、親や祖父母、先生など目上の人の言うことはしっかり聞く、真面目そのものであった。

しかし、私は正直「真面目そう」と言われることにコンプレックスというか、あんまり良い印象を持つことができなかった。

今回は、その理由とコンプレックスへの捉え方がどう変わっていったかについて語ろうかと思う。

 

学生時代は否定的な印象を強く感じた

「真面目そう」と言われることに、コンプレックスを強く感じたのは学生時代である。とくに思春期を経て中学・高校の頃になると、真面目そうといわれる自分に対して、どこか引け目のようなものを感じずにはいられなかった。

中高生ともなれば、小学生のころと違い恋愛も普通にするようになるし、人によってはヤンチャな大人や先輩との交流を持つようになる頃である。そして、反抗期も相まって教師や親を含めた大人や世間の目、社会常識に対して反発したくなるお年頃でもある。

そんな反発したいお年頃なのに、律儀に親や教師の言うことを聞くような学生であった。

その頃を振り返ると「私は他の人と比較して、大人しすぎる、自主性が無い。人としての魅力もなく同級生からもつまらない、面白くない。スクールカーストで言えば底辺に近い存在であり、同級生からは付き合うだけの価値がない人間である」というような、劣等コンプレックスを感じていたように感じている。

 

大人目線で見れば良い子、同年代目線で言えばつまらない子という印象

幸いにも私が通っていた学校は、風紀が乱れていたり荒れる学生が多いところではなかった。

しかし、先生にちょっかいを出して授業を中断させたり、学校の備品を壊したり、意味もなく学校をサボるといった、真面目街道からエスケープする学生はそれなりに多かった。

そんなエスケープした学生は同級生の間では人気者であり、憧れの存在であり、そして一人前の大人のように見えた。

しかし、一方で私はというと、宿題はきっちりやって提出期限に間に合わす、(病欠を除いて)遅刻や欠席をせず、テストでもそれなりの成績を収める…という具合であった。

そんな真面目っぷりから同学年から勉強においては頼られることはあったが、それ以外は積極的に関わろうと思われることはなかった。もちろん、問題を起こすような学生ではなかったので、親や教師といった大人からの評判は良かったが、同年代からは良くも悪くもないという微妙な反応であった。

こうした反応の差があることが、私がコンプレックスを強く感じる要因だと、昔を振り返って感じている。

 

この時期の同年代の評価というのは、自分が置かれた学校という名の社会におけるステータスであり、自分の立ち位置を決める重要な要素である。親や先生から評価が良くても、スクールカーストでの評価は上がらない。

むしろ、真面目でもなく親や先生から多少のクセがある学生のほうが、同年代からの評価が高く、それに比例してスクールカーストでも高いポジションになれた。

真面目に頑張っているのに自分はカースト内で低評価であり「不真面目なヤツが評価されるのはおかしい!」と思ったこともあっ。しかし、ここでも真面目さが仇となり「自分は真面目ぶって大人から評価を得ようとしているせこいやつだ」「同年代に気に入られる努力をしないクソ真面目」と思い込んでストレスを抱え込んでしまった。

 

社会人になれば、比較的好印象を持てるようになった

学生時代は真面目な自分に自信をもてなかったが、社会人になると状況は一変した。

新社会人の頃は主体性こそ乏しかったが、そこはまだ新人だから…という理由で大目に見てもらえた。そして、真面目に連絡や相談をしたり、上司や先輩の言うことを律儀に守るという姿勢が高く評価され、自分の居場所を感じれるようになった。

ただし、これは真面目である人が他の業種と比較して少ない職種(クリエイティブ職)であるからこそ起きた現象であるとも私は思っている。

必要な連絡をしなかったり、言われたことを守れなかったり、普通に遅刻をしてきたり、バックレたり…という、およそ社会人らしくない行動をする人が割と多い中で、普通に当たり前のことができるという真面目さが、本当にありがたられた。(※もちろんクリエイティブ職に人を悪く言ってるわけではない)

一般的に真面目と言えば、取り柄がない人が言われるお世辞だと言われがちだが、この職場では本当に戦力になるありがたい性格の持ち主であると評価され、私自身が真面目であることに抱いていた卑屈な感情を払拭できるようになった。

 

真面目がコンプレックスで悩んでいる人へ

最後に、いま真面目な自分にコンプレックスを感じてる人に伝えたいのは、真面目な人が珍しい環境に自分を置いてみることだと私は思う。

真面目な人ばかりでは、(似たような人がいる安心感は味わえるかもしれないが)真面目に対するありがたみが薄れるし、感謝されることも少ない。

しかし、本当に真面目な人を欲している環境に身を置けば、普通にしているだけで大変良くしていただける。

また、私の場合はベンチャーで若い人が多かったが、フリーになって中高年の方と関わることが多くなると、若いのに真面目であることが高く評価されることも多い。

真面目なせいで同年代にコンプレックスを感じている人は、いっそのこと同年代との関わりよりも、自分よりも年上の方が多い環境に身を置くことも、自分を肯定的に見れるきっかけになるはずだ。

…と、いうことを語って今回はお開きにさせて頂く。