他人に優しくする事は、社会生活を円滑に送るためには大切なスキルであろう。
しかし、中にはその優しさや優しくする事を大事にしている人の善意を利用して、楽をしたいだとか自分だけ美味しい思いをしたいだとか、金や承認を手に入れたいだとか…など、私腹を肥やすようなずる賢い人が出てくることもある。
そうした強欲な人は、初めのうちは優しい人に対して物腰柔らかく振舞う。まさに優しくされるにふさわしいだけの人物を巧みに演じるのだ。
しかし、次第に付け上がってきて優しい人の善意を利用しようとすることが目立つ。そして気が付けば優しい人の体力と精神力を奪う寄生虫のような存在になってしまうのだ。
今回はそんな優しくすると付け上がる人への対処法について、個人的な見解を語ろうと思う。
優しくするとつけあがる人への上手な対処法
付けがらせるような過度な優しさを振舞わないようにする
まず、優しくする側の心得として、相手が「この人なら過度に甘えても問題ないタイプの人間だ」と思わせる事が無いようにしなければいけない。
つまり、結果として相手が付け上がってしまうような、過度な優しさを振りまかないように日頃から気をつけておくことが肝心なのである。
具体的には相手が依存心や増長を強めるようなベッタリとした過度な優しさではなく、適度に自立を促すような、適度な優しさに留めておくことが欠かせない。
他人に優しくすることは、道徳面や社会的に良いことだと思われているためか、際限無く優しさを振りまいてしまいがちになる。また、過度な優しさそのものを問題視して取り上げるようなことはあまり起きないものだ。
そのため優しくしたい人は放っておけばどこまで他人に優しくしてしまうし、自分の優しさが他人をダメにするような優しさであると自覚すること難しい。
だからこそ、優しさにもある一定の限度を持つようにしたり、優しくしたい相手との距離感を意識することが、優しさのせいで付け上がる相手を生まないためには大事なのである。
付け上がってきた場合は怒るのではなく「優しくしない」で対処する
もしも、優しくしていた相手が次第に付け上がってきた場合は、怒るのではなくバッサリと優しくしないことで対処するのが良い。
というのも、付け上がる人は「自分は理由もなくいきなり怒られた!」と自分の非を棚に上げた主張をすることがある。
こうして被害者ぶることで、さらに他人からの優しさを集めやすくなるのだが、そこでもまた優しさを過剰に振りまく人に寄生して、更なる被害者を生んでしまう原因になる。
そうならないためにも、だんだん調子に乗り始めて来た時は思い切って優しくしないようにすることが、下手に怒って自分が悪者扱いされないためにも、そして相手が更に勘違いを強めないためにも重要である。
もちろん、深刻な場合は相手を無視なりミュートするなりして、下手に接触しないよう努めることもまた、地味なようでいて効果はてきめんである。
優しくするほうが立場が上だとさりげなくアピールする
また、付け上がってきた相手に対して優しさを削減することは、言い換えれば「あなたに優しくするもしないも、あなたではなくて結局は私が決めることですよ。」とさりげなくアピールすることにつながる。
つまり、
- 優しさを与える側の方が立場が上
- 優しさを受け取る側の方が立場が下
と上下関係を叩き込ませるという側面もある。
こうして上下関係を叩き込ませれば、その関係を崩して優しさを受け取る側が図に乗るような真似をしてくれば、優しさを与える側が強気で対応できる。
また「優しさを与える側の方が立場が上」という考えを持っておくことで、優しくする側がわがままを言い出した時に、下手に慌てたり狼狽えることもなくなるのだ。
優しくする相手が社会的弱者であっても同情・共感をしすぎない
つい優しさを振りまいてしまう相手は、他人の善意を受け取らないと社会生活を送れないほどに弱い立場にいるということが多い。誤解を恐れずに言えば、貧困、孤立、メンヘラや各種生きづらさ、しどさを感じている…といった社会的弱者であることが多い。
そういった「かわいそう」と思われやすい立場にいる人だからこそ、つい優しくしてしまいがちだし、かわいそうな立場の人だからこそ、身なりは汚くとも心が善良であるとか、苦しみや逆境に負けない清らかな心の持ち主であるとか考えてしまいがちだ。
しかし、そんなかわいそうで他人から優しさを受け取りやすい人だからといって、その人を善良な人だと信じ込むのは早計である。
善良な人だと思われやすく、疑いの目が向けられにくく、他人からの共感や同情を集めやすい立場にいることを利用して、他人の善意にあぐらをかいて優しさを吸い取ろうとする悪知恵や一種のたくましさ、図太さを持っている人がいることも忘れてはいけない。
もちろん、社会的弱者に対して疑いの眼差しをむける事は、人によっては良心の呵責やタブ-意識を感じることだと思う。
しかし、同情や共感をした結果、自分が損をするような未来になってしまう相手でないかを見極める目を養うことは、(不都合な現実かもしれないが)損をしないためには大事であると心得るべきだ。