「人に理解されなくて辛い」と感じる人に欠けてる能力について説明する

人間関係・コミュニケーション
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今のご時世何かとストレスや不満の溜まりやすいためか、普段の生活の中でも「自分は他人から理解されなくて辛い…寂しい…生きづらい」という類の言葉を耳にすることが多いと思う。

もちろん、辛いと感じるのは主観であるし、「裕福だから理解されないなんて言うな」だとか「人望に恵まれている何を贅沢な悩みを…」と言うつもりはない。

ただ、私個人的な意見としては、理解されないと嘆く人の中には、どうも自分を悲劇の主人公だと思い込むばかりに、ある能力が欠けているor一時的に鈍っていると感じることがある。今回はこのテーマで個人的な見解を語っていこうと思う。

(※もちろん、本当に無理解や偏見に悩んでいる方もいるとは思うし、何事も例外はある。あくまでも私一個人の意見・見解として読んでいただきたい。)

 

実は周囲から優しくされているのに、そのことに気づく能力がない

私が思うに、人に理解されないと嘆く人は本当に天涯孤独であるとか、関わる人皆から疎まれている…というような悲惨な状況にいるとは思えない。むしろ、適度に友達やパートナー、家族がいるし、職場の人とも話す。ネット上でも交友関係があり、決して無理解や偏見に苦しんでばかりというわけではない。

すごく嫌な言い方になるが、この手の人は自分が恵まれていることに対して鈍感である。つまり、実は周囲の人から優しくされているのにも関わらず、その優しさを優しさとして気づく能力がないのだ。

ちなみに「優しさ」以外にも「感謝されている」「評価している」「認めてくれている」「頼りに思されている」「信頼されている」…というような、人であれば自然と湧き出てくる感情なり行動についても、同様に気づく能力がない。

そのため、傍から見ればとくに人間関係で深刻な問題を抱えているようには見えないけど、当の本人は非常に苦しい状況で心身をすり減らしているという複雑な状況になるのだ。

 

 

人に理解されないのは自分の置かれている状況を俯瞰的に見れていない、意固地になっているから

周囲から見た自分の状況と、自分自身で感じる自分の状況に大きな食い違いがある以上、自分の気持ちや本音を他人から理解されないのは致し方ない。

辛さを感じている本人からすれば「どうして周囲の人は自分に共感してくれないんだ」と感じているが、周囲からすれば「結構恵まれていると思うのに、どうしてこんなにもこじらせてしまっているのだろう?」という反応になるものだ。

 

もちろん、俯瞰的に見て自分は結構恵まれているということを自覚するのは、自分で自分を悲劇の主人公だと感じている当人にとっては、精神的なストレスを伴うものである。

まるで自分はだだをこねているだけ甘ったれ、自分の今いる環境に対する感謝の念に鈍感な器の小さい未熟な人間である…そんな、心に優しくなさそうなメッセージを自分に向けることになる。(まぁ、それらのメッセージは「自分は悲劇の主人公ではない」という、傍から見れば救われると思えるようなものである)

しかし、自分で自分を悲劇の主人公だと感じている当人からすれば、この手のメッセージは自分の人格や人間性の否定だと感じてしまうのだ。

結果、悲劇の主人公である自分を否定しないように、自分自身が割と恵まれている状況にいることであったり、実は周囲の人からそれなりに良くしてもらっているという事実を拒絶しようとする。

言い方は悪いが、こうして見ると理解されないのは決して周囲の人が意地悪なのではなく純粋に意固地になって、周囲の人の意見を聞こうとしていないという解釈もできる。そんな端から他人の意見を聞こうとしない姿勢を続けようものなら、本当に周囲から人がいなくなってしまっても別に不思議ではない。

 

周囲からの優しさがわからない辛さを抱える人に同調するネットの人たちについて

最後に蛇足になるが、この手の周囲からの優しさがわからない人にとってネットの世界の人間関係はかなり危うい側面があると私は考えている。

ネット上だと、グーグル検索なりSNSやyoutubeなどで「生きづらい」などの単語を検索すれば、同じような悩みを抱えている人の情報や存在が見つかるものである。場合によっては、そこで新たな人間関係を構築することもあるだろう。

しかし、ここで生まれる人間関係は「理解されなくて辛いよね~」と同調することで、被害者意識を募らせる傾向がある。つまり余計に意固地な部分を強めてしまい、他者の優しさを感じ取る能力が鈍くなるのだ。

同調者がいるのでそれなりに安心できるかもしれないが、その関係は(言い方は悪いが)傷の舐め合い、馴れ合いの類に近い。

加えて同調してくる相手もまた、現実の人間関係でトラブルが起きた結果、ネットの世界に来たであろうことが予測できる。

お互いがお互いに辛い思い出抱えた者同士だからこそ育まれる友情もあるかもしれないが、こじらせた性格の持ち主だからこそ、余計にいがみ合って衝突してしまう可能性の高さについて無視できない…というのが私の持論である。

 

現実の人間関係が上手くいかない人が、どうしてネット上で上手くいくと思うのだろうか…

 

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