褒められる事に異常に弱い人に感じる違和感について説明する

人間関係・コミュニケーション
この記事は約4分で読めます。

私がかつて意識高い系と呼ばれる人たちと接していた時、彼らの中に褒め言葉に対して異常なまでに弱いという特徴を持っている人に出くわすことが多々あった。

もちろん、褒められて喜ぶ行為自体は自然なことではある。しかし、私が接して来た意識高い系の人たちは、どうもある一定の褒め言葉であれば無条件に受け入れるような様子が見られたり、褒めてくれた相手の事を全面的に信用し仲間だと思い込む行動が見られた。そうした姿の行動は、いわゆる普通の人には見られない、どこか危うさすらもを感じる不気味さがあったと記憶している。

今回はそんな私の経験をもとに、褒め言葉に異様に弱い人について個人的な見解を述べていこうと思う。

 

褒め言葉に異様に弱い人はメンタル面からくる問題を抱えている可能性がある

私の持論になるが、褒め言葉に異常に弱い人たちはメンタル面に問題を抱えている可能性があると見ている。

具体的には、精神的に打たれ弱く一つの物事が続けられない。その性分が災いして勉強やスポーツなど、日頃の積み重ねがモノを言う世界から逃避してきた人生を送っている事が多く、今までの人生の中で適度な誇り、自信、自負などを持つ経験を出来なかったであろう事が想像できる。

また、このような性格が災いしてか普段から交友関係が少ないor同じような回避傾向の強いタイプの人とつるむ。そのためか、最近良くも悪くも流行っている「生きづらさ」を抱えている傾向も目立つ。

 

そんな褒められる事や賞賛、評価を受ける事とはあまり縁のない人生を歩んできたからか、ほんの些細な褒め言葉であっても、その言葉を非常にありがたい言葉であるかのように受け取ってしまうようになったのではないか…と私は見ている。

(自己肯定感という分かりやすい言葉で片付けるのは好まないが)一言で言えば、今までの人生の中で自己肯定感が育つようなことが叶わなかった&自分で自分を肯定できるような評価・実績を得られない人生を歩んで来た結果として、ふとした時に誰かから肯定されると、それを大変ありがたがるようになったのだと分析している。

 

自分の頑張りよりも、自分の素質を褒められる言葉に強く反応する

今まで何かを積み上げてきた人生を歩んで事無かったためか、褒め言葉に異様に弱い人は自分の経歴や実績を評価される言葉ではなく、素質や才能など努力せずとも自分がもともと持っているものを褒める言葉(あるいは評価されうる可能性を感じるメッセージ)に対して、めっぽう弱い傾向がある。

例えば「よく勉強するよね」とか「よく頑張れるよね」よりも「あなたには○○の才能があるよor○○の天才だね」というような言葉に強く反応しやすい。

「才能」のような言葉は、ともすれば大げさな表現のように見えるかもしれないが、その大げさなものがうだつの上がらない自分に備わっている。

その才能を発揮すれば、今までのパッとしない曇った人生が嘘みたいに晴れやかで、華やかで、溌剌としたものになる…という類の一発逆転妄想を刺激するかのような現実離れした褒め言葉に対してめっぽう弱い。言い方は悪いが頭がお花畑状態であることが、褒め言葉にやたらめったら弱い人の中に見られた。

もちろん、人間には何かしらの才能があるというメッセージ自体は否定しないし、そういう綺麗事によって足元がすくわれるのではなく、心が救われる人がいるのも事実だ。

「君には才能があるよ」と言われて、その言葉に簡単に影響されて信じてしまう時点で、(憧れこそしないが)良くも悪くも才能があると個人的に思う。

 

人生一発逆転妄想を刺激する褒め言葉に弱いことの弊害

人生一発逆転な妄想を刺激する褒め言葉に弱いことの負の側面について触れておきたい。

まずまっさきに、騙されやすくなることだ。「才能がある」など自分を褒めてくれる言葉…意地悪な言い方だが自分を気持ちよくしてくれる言葉を放ってくれる人に対して、喜んでしっぽを振るような行動を取るようになる。一言で言えば”ちょろい人間”になるのだ。

加えて、自分をとくになんとも思ってない中立的な人(=いわゆる周囲の人)との評価の差に苦しむことだ。

自分の努力や実績といった自分が何か奮起しなければ経験・獲得できない事ではなく、何もせずとも評価される才能や素質、気質のような生得的なものを自分の拠り所にしている。

前者は学歴、職歴、社会的な評価など周囲の人からもわかりやすく理解されやすいものであるが後者はそうでない。

多くの人から見て、才能や素質と言われても一体何のことなのかさっぱりわからない。さっぱりわからない以上、その人が才能があるとか素質があるとか考える事は自然に起きないし、高い評価を下すこともない。

ただ、等の本人は自分には才能があると感じている…が、それが理解されないことに苦しむ。この時に「自分の認識の方が誤っていた」と思えるのならまだマシで、大抵は「理解してくれない人は敵、見る目がない、嫉妬している」と精神衛生を悪化させないよう自分に都合のよい思い込みをする。

こうした思い込みこそが、昨今流行っている生きづらさに悩む人と増やす一因になっているのではないかと思う。