普段の会話の中で、やたら家族や友人知人、職場の人など、他人を褒めたがる人と言うのは、正直言って人を選ぶ人だと感じる。
他人を褒めるという行動をしているので、いい人だと見なしてしまう傾向がある。その反面、そのいい人らしさにどこか嘘くささを感じてしまう。妙な押し付け感というか他人に対してプレッシャーを与えてしまう人であると言ってもいい。
とはいえ、ネガティブな話題をしないので傍目にいい人に見えるし敵を作ることは少ない。しかし、妙に賛同しづらく「そうやすやすと信用していいのだろうか」という疑念を抱かせるのが特徴的である。
今回はやたら他人ばかりを褒めたがる人の心理について、個人的な見解を述べさせていただく。
他人ばかりを褒める人の心理
内面がいいだと思われたい欲求が強い
他人を褒めたがる人は、自分の内面の美しさ、清らかさ、清純さをアピールして認められたい欲求が人一倍強い。
しかし、なんの考えもなく「自分は心が綺麗ですよ」と言って、逆に疑われるようなことを強く恐れている。そのため、多少回りくどいが「自分と関わりのある他人を褒める」という行動に出ることにより、承認欲求を満たそうとしているのだ。
また、話題に出す他人はその場にいる人が知らないであれば、より一層好都合である。話題に出てくる人が、本当に褒められるほどいい人であるかどうかを、その場にいる人たちが確認することはまずできない。
つまり、いくらでも話を盛れるし、バレにくいのだ。もちろん自分に関わりのある他人の話題として、延々と話続けることが出来て自分の承認欲求を満たしやすい。
また、話を聞かされる人も「まさかこの人が嘘をついているとは思えない。なぜなら、ポジティブな話題をしているし、こんなに他人を褒められるのだから、人としての器が大きいに違いない」と思ってしまうので、自分がいい人として認められたい人は、やたら他人を褒める話題をしたがるのだ。
自分の人脈・人望の素晴らしさをさりげなくアピールしたい
承認欲求に関連する事柄として、自分の人脈や人望の広さ・素晴らしさを嫌味なくアピールしたいときにも、他人を褒める話題は有効である。
露骨に「自分はこんなに有名な人がいるんですよ~」とアピールするのと比較すると、「自分はこれだけ素晴らしい人に恵まれていて、本当に心から感謝しております」という、謙虚なイメージを他人に与えやすい。
また、謙虚さをアピールしているからこそ、「でも、本当は腹黒いに違いない」と他人に思わせにくいのも特徴的である。
他人を褒められる自分に酔っていたい、自己陶酔したい
社会人としてある程度の地位や立場になったり、人生経験を重ねたことによりプライドがやたら高くなってしまう人にあるのが、「他人を褒めること=自分はその人と比較すると劣っている」と、歪んだ感覚を持ってしまうことだ。
その感覚ゆえに、他人を簡単に褒めなくなる。逆に、自分を褒めて認めるような言動を周囲に求めるようになってしまう。
そんな「自分が自分が」という姿勢を持つ人が多い環境においては、プライドを気にせず他人を褒める人の方が、信用や人望を集めやすく、他人を簡単に褒めない人よりも高く評価される。
しかし、こうした評価を得やすい状況を逆手に取って、意図的に他人を褒める話題ばかり出す人も中には登場してしまうものである。
この場合、他人を褒める話題をする人は、他人を簡単に褒めない人同様に、プライドが高く「自分が自分が」という姿勢を捨てきれていない。要は同じタイプの人間であると言える。
傍目には他人を褒める話題をしているので、褒めない人とは違うタイプの人だと思われがちだが、話題をみると心から褒めているようには見えず「自分の立場を脅かすような相手ではないから」という見下しや蔑みを込めて他人を褒めている。
そして、「簡単に他人を褒めない人と違って、自分は他人を認められる懐の深い人間なんですよ」という自分に陶酔している雰囲気を隠しきれていないことが、見る人から見れば違和感を抱かせる原因になるのだ。
その場の話題を支配したい、他人に邪魔されず自分語りをしたい
一般的にいい話をしている人を遮ってまで、新たに話題を切り出すことには多大な精神的な労力を要する。
「誰かを褒める」という話題自体、その場にいる人が不快に感じるような話題ではないし、ましてや「誰かを褒める」話題に不快感を示そうものなら、性格が悪い人、ひねくれている人というレッテルを貼られてしまう不安がある。
そのため、「誰かを褒める話題」はその場にいる人から「その話題はもういいです」とストップの声が入りづらい。つまり、「とにかく誰かに自分の話がしたいんだ!」と自己顕示欲求が強い人にとっては、うってつけの話題なのだ。
内容が内容だけに「他人を褒める話をしている人が、腹黒い人なわけがない」とは思いづらいし、仮に思ったとすれば「あんなに優しく、人として徳に満ち溢れている人に疑いの目を向けるなんて…」という自責の念を他人に抱かせることも容易である。
そうした他人が感じる自責の念を利用して、自分の個人的な欲求を「他人を褒める」という高尚な話題を利用して満たす様が、違和感を生んでしまうのだと感じる。
…と、いうことを述べて、ここでお開きにさせて頂く。
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