SNSでの褒め合いが気持ち悪い理由を語る

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人間関係をよくするためには「相手を褒める」ことは有効な手段であろう。

しかし、中には褒め合う関係がどこか息苦しい。うまく表現できない違和感というか、無言の圧力をかけられているように感じる。

あるいは、褒め合う関係をどこか「正直アホらしい」「わざとらしく褒め殺しているのだろうか?」と俯瞰して見ている人は少なくないように感じる。とくにそういった感情は、リアルの人間関係よりも相手の表情の変化が見えないSNS上にて起きる傾向があると思う。

今回は、ネット上での褒め合いに感じる気持ち悪さについて、個人的な見解を述べさせていただく。

 

SNSでの褒め合いが気持ち悪い理由

ほめ方が大げさ、過剰で、なんだか幼稚に見えてしまう

SNSを始めネット上のコミュニケーションの性質上致し方のないことだが、褒め言葉を相手にかけても、その言葉による表情や態度の変化が見えない。同時に、褒め言葉を言う方の表情や態度も相手に可視化されることはない。

基本的に文章(記号・絵文字含む)や「いいね」アイコンの変化、でしか、コミュニケーションが取れないことが起因して、SNS上での褒め合いは、リアルとは違いどこか大げさな表現、過剰な表現になってしまう。

その光景を見ていると、まるで感情をフルオープンにして、褒める&褒められるというコミュニケーションが繰り広げられているように思えてしまう。

それも未就学児や小中学生ならまだしも、いい年した大人が感情をフルオープンして褒め合っているとなれば、どこか幼稚でみっともない…という、恥ずかしさや気まずさに似た感情を覚えてしまうのも無理はないだろう。

 

絵文字、記号など装飾を使わなければいけないという暗黙のルールがある

何度も言うが、基本相手の表情や態度が見えない以上、SNS上の褒め合いは無機質な言葉のやりとりに感じてしまいがちだ。

もちろん、テキストだけでも自分が相手に好意を持っていることや、褒られめて喜んでいることを文章の中から読み取ることは出来る。

しかし、そこに絵文字や記号(ハートマークなど)スタンプなど、より視覚に訴える表現を盛り込むことで、自分の感情をストレートに表現出来る。そうした絵文字や記号、スタンプの浸透はネット上でのコミュニケーションに、それも感情のやりとりに大きく貢献したといえよう。

しかし、その一方で(このブログのように)文字のみのやりとりを、より一層冷たいもの、無機質なものであると見なしてしまう傾向を強めてしまった。

その結果、「本当は文章を使って表現したいけど、それだと相手に冷たい人だと思われたり『本当は褒めていないんでしょ』と思われてしまう可能性がある。だから、絵文字や記号を使って装飾を増やさないといけない」という暗黙のルールが、人知れず生まれてしまった。

そのことが、自由なはずのネット上での褒め合うコミュニケーションへの苦手意識を増す要因になったのではないかと思う。

 

誰が一番相手を褒められるかと競い合っているように見えてしまう

SNS上では、誰が誰を褒めているかが第三者からでも把握出来る。そのため、自分と仲の良い誰かが褒められているの発見することも簡単にできるし、その輪に参加することも容易だ。

しかし、ここで起きるのが「自分の方が褒めるのが上手だ」と褒め合い合戦が勃発することである。

こうなると、褒めることそのものが目的化してしまい、褒める相手のことを考えた褒め言葉ではなくなる。

自分が一番褒めるのが上手であると周囲にアピールしたいがために褒める、という自己中心的な行動が繰り広げられてしまう。その光景は、外から眺めている人に「痛々しい」「寒い」という感覚を呼び起こしてしまうのだ。

また、褒められている方もやめてほしいとは言えず、ますます褒め合戦に拍車がかかってしまうのも厄介である。

 

自分が気持ちよくなりたいから褒めているように思えてならない

上からの続きだが、純粋に相手を褒めたいという動機ではなく、褒めるという行為そのもので自分の心を気持ちよくしたい…という、個人的な欲求で互いに褒めてしまうことが、褒め合いに関する苦手意識を生んでしまうのだ。

「相手を気持ちよくしたいのではなく、自分が気持ちよくなりたい」という自分だけが満たされるような行為をすることは、なかなか難しい。もちろん、自己中心的だと咎められて、満たされずに不満を味わうことも珍しくない。

そんな個人的な欲求を、褒めるという高尚で人としての器の大きさを誇示出来る行為によって成し遂げている。

言うなれば、自分の本音を隠して建前として相手を褒め合っている姿に、モヤモヤとした気持ちを抱いてしまう。それも、よく観察しないと本音が見えにくいSNS上で行うずる賢さに、違和感を覚えてしまうのだ。

 

営業や社交辞令として表面的に褒め合っているだけに見えて白ける

SNSで自分を売っていきたい、成り上がっていきたいという上昇願望がある人同士に多いのが、とにかく他人に絡むと同時に褒める。そして褒め言葉に対するお礼や感謝が返ってきたら、すぐさまこちらも褒め言葉を返す…という光景だ。

言うなれば社交辞令やお世辞として相手を褒め合っている。そこには、相手に対する好意やリスペクトは存在せず、ただ自分がのし上がるために善人面をしている、いい人を装っているだけである。

真心もなく、褒め言葉も「別にその人以外に言っても通用するよね」と思うぐらいに抽象的で語彙が貧弱である。

そんな光景は見る人から見れば、卑しく、浅ましく、そして白けるものだ。

 

…と、いうことを述べて、ここでお開きにさせて頂く。